本塁打より印象に残る「ボテボテのゴロ」 U-18を2度経験…清宮幸太郎が後輩に伝えたい“記憶”

主将として「いかにみんなとコミュニケーションを取るか意識」
9月5〜24日の期間、沖縄を舞台に「ラグザス presents 第32回 WBSC U-18 野球ワールドカップ」(以下、U-18W杯)が開催される。1981年から始まり、今年で32回目を数える歴史ある大会。Full-Countでは、2015年の大阪以来2度目となる日本開催を盛り上げるべく、かつて同大会に出場したNPB選手たちに“あの夏”の記憶を呼び覚ましてもらった。
まず登場するのは、2015年の第27回大会、2017年の第28回大会と、数少ない2大会連続出場を果たした日本ハムの清宮幸太郎内野手だ。中学生の頃から注目され、早稲田実業では1年生から主軸として存在感を光らせた清宮にとって、2度のU-18W杯はどのような場となったのか。
清宮の最初の“高校ジャパン”は1年生の時だった。野手では初となる異例の抜擢で、しかも多くの先輩たちがいる中で4番に座った。しかし、木製バットへの対応にも苦戦し、打率.222(27打数6安打)、0本塁打、2打点。「打てない悔しさがありました。木のバットがすごく難しくて思うような打撃ができず、悔しいなという印象が強いです」と、ほろ苦い思い出となった。
2年の時を経て、3年生になった清宮は再びU-18代表として日の丸を背負った。今度はキャプテンという重責も担った。全国各地から集められた同世代をまとめるため、「いかにみんなとコミュニケーションを取るかはすごく意識しました」とチームを牽引した。
前回大会では苦しんだ打撃も、9試合で打率.219(32打数7安打)ながら2本塁打を放ち、当時史上最多とされた高校通算111発という大砲の片鱗を世界に印象付けた。
チームメートは続々プロで主力に成長「楽しいというか刺激になります」
絶対的4番だった清宮だが、2大会を通じて印象に残ったプレーには、1年時の遊撃内野安打を挙げる。2015年9月4日に甲子園で行われた韓国戦。6回無死一塁の第4打席は遊撃へのゴロとなったが、激走でセーフに。ここで代走を送られ退くも、続く平沢大河内野手(仙台育英)の適時打につながった。
「終盤にボッテボテのゴロでセーフになって、次の大河さんにつないだ打席はすごく覚えています。僅差で、どんな形でもとにかくつなぐぞ、みたいな。それができた打席でした」
日本代表として得られたことは「友達が増えたっす」と笑う。当時の代表仲間は平沢のほかにも郡司裕也捕手(仙台育英)、古賀悠斗捕手(福岡大附属大濠)、小園海斗内野手(報徳学園)、藤原恭大外野手(大阪桐蔭)ら多くがプロの世界に進み、チームの中心選手に成長している。今もチームメートや対戦相手としてつながりがあり「それがうれしいですね。楽しいというか刺激になります」と切磋琢磨は続いている。
今年、大会2連覇を目指す後輩たちへ「普段はチームの主力ですけど、チームなのでチームに徹しないといけない場面ってあると思うんです。そこはグッとこらえてというか、フォア・ザ・チームでみんなやってほしいと思います」とエールを送った。
(Full-Count編集部)