25歳で4度の戦力外通告「そろそろ時期かな」 地球の真裏で…元西武右腕の“第2の挑戦”

メキシカンリーグでプレーする元西武・伊藤翔【写真:本人提供】
メキシカンリーグでプレーする元西武・伊藤翔【写真:本人提供】

2017年ドラフト3位で西武に入団した伊藤

 2024年オフに西武から戦力外通告を受けた伊藤翔投手は今年、メキシカンリーグのカンペチェ・パイレーツでプレーした。入団4年目の2021年に右肘を手術して育成契約となり、その後支配下復帰は叶わなかった。育成選手として4年連続で受けた通告。それでも「ライオンズにはいい経験をさせてもらった」と感謝を口にする。

 伊藤は四国IL・徳島から2017年ドラフト3位で西武に入団。高校3年時にプロ志望届を提出したが指名漏れし、最短でのNPB入りを目指して独立リーグへ。見事1年でドラフト指名を勝ち取った。1年目の2018年には16試合に登板し3勝を挙げたが、その後は伸び悩む。右肘を手術後、2023年に実践に復帰し2軍で30試合に登板したが、翌2024年は2軍で9試合の登板にとどまり、オフに4度目の戦力外通告を受けた。

「実戦に復帰した2023年は『ちゃんと投げられるかな』という不安が残る中での復帰でした。2024年は、肘の痛みもなくなって『やっとちゃんと野球ができる。やれるぞ』と思っていましたが、限られた登板機会で結果を残すことができなかった。正直『もうちょっと投げさせてもらえれば、もっとやれたんじゃないか』と思うこともあります。でも、少ないチャンスをものにできなかったのは自分の弱さです」

 支配下登録期限の7月末までは、次のことを考える余裕はなかった。「『何かひとつ、突出したものがあれば。他と違うものを見せられれば』と思って、必死になってやっていました」。だが、期限が過ぎてからはいろいろなことが頭をよぎった。決して気持ちが切れたわけではないが、今後のことを周囲に相談をするようになった。これまで3度の戦力外通告を経験しており、「3回目、4回目は『そろそろこの時期かな』と予測ができてしまいました」。球団事務所に呼ばれ、告げられた戦力外に大きな驚きはなかった。

「球団からはいろいろ提案していただきました。でも、自分の中では現役を続けたいという気持ちがあったので、『トライアウトを受けます』と伝えました。野球を辞めようなんて1ミリも思っていなかった。野球ができる環境があるなら、チャンスを貰えたところで頑張るのが一番いいんじゃないかと思いました。ライオンズで与えられたチャンスをものにできなかった悔しさがあるから、野球を続けようと思った。4度戦力外通告を受けましたけど、自分の人生にとっていい経験だったと思っています」

 現役続行を目指し、12球団合同トライアウトに参加。NPB球団から声はかからなかったが、社会人チームから声がかかった。だが「広い視野で野球をやってみたい」と、メキシコでプレーすることを選んだ。

 自身と同じくトミー・ジョン手術を経験し、育成選手として汗を流した粟津凱士投手、齊藤大将投手と食事に行き「頑張ろう」と話しながらお酒を飲んだ。粟津も2024年で現役を引退、齊藤もソフトバンクへのトレードを経て引退した。励ましあった仲間たちもユニホームを脱いだが、遠く離れたメキシコでも古巣の試合は気にかけている。「時間帯が真逆なので試合は見られませんが、ダイジェストを見たりしていますよ」。4度の戦力外通告、その悔しさを糧に、26歳の右腕は異国で挑戦を続ける。

(篠崎有理枝 / Yurie Shinozaki)

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