菅野智之が得た手応えと苦悩 ジャッジに感じた恐怖…35歳の“新境地”【マイ・メジャー・ノート】

ヤンキース戦に先発したオリオールズ・菅野智之【写真:ロイター】
ヤンキース戦に先発したオリオールズ・菅野智之【写真:ロイター】

自己最多の30先発で10勝10敗、防御率4.64…最終登板は3被弾

 オリオールズ・菅野智之投手が27日(日本時間28日)、敵地ニューヨークでのヤンキース戦に先発。4回1/3を投げ、3本のソロ本塁打を含む5安打4失点で黒星を喫した。この試合でメジャー1年目の登板を終え、チームで唯一、開幕からローテンションを守り、日本時代を含め自己最多の先発30登板を積み重ねた。35歳で挑んだルーキーイヤーは10勝10敗、防御率4.64の成績だった。

 憧れのメジャーに挑んだシーズン最終登板は、前回と同じヤンキース戦。本拠地から敵地と場所は変ったが、地区優勝を目指すピンストライプ軍団には「勢いを感じました」。その中核を担う2人のスラッガーに菅野はまたしてもやられた。

 前回登板でソロを浴びたアーロン・ジャッジ外野手と、3ランを被弾したジャンカルロ・スタントン外野手にそれぞれソロアーチを描かれた。初回、2死から3番ジャッジに2球目の82.9マイル(約133.4キロ)の外角スイーパーを左翼席に運ばれ先制点を許すと、2回には、4番スタントンに初球の外寄り93.4マイル(約150.3キロ)の直球を右中間へ打ち込まれた。8番のマクマーンにも一発を浴び、初回から3回までの被弾はメジャーワーストの27本となった。

 2試合連続で2人のスラッガーに流れを一気に引き寄せられた。

「日本の場合は連打をされなきゃいいやっていう感覚でいますけど、こっちの場合は、簡単にホームランにされちゃう。1球の大切さであったりとか1球で流れが変わったりとか、そういうものはやっぱりより感じますね」

 データからの傾向と真ん中のスライダーを含め3球続けて待球した2打席目から、スタントンの本塁打は初球のストレートを「決め打ちした」と感じた菅野は「今、試合を巻き戻せるなら、ボール気味のスライダーから入っていたと思う」と冷静に振り返った。一方、ジャッジの先制ソロには「正直、悔いはないです。僕の中ではいいコースに投げ切っていた。彼はしっかり自分のゾーンを分かっていて、そこら辺に来たら振るっていう感覚で多分振っている」と歯切れがいい。

53号を放ったヤンキースのアーロン・ジャッジ【写真:ロイター】
53号を放ったヤンキースのアーロン・ジャッジ【写真:ロイター】

「2アウト一塁でジャッジを迎えると、なんかすごいピンチのように感じる」

 今季ヤンキース戦に3度登板した菅野は計23安打を許しているが、30.4%の7安打(うち3本が本塁打)をジャッジに打たれている。24日(同25日)には、ドジャース・大谷翔平に続き2年連続で50号に到達し、凄味を帯びる打者に菅野はメジャーの厚みを実感する。

「2アウト一塁でジャッジを迎えると、なんかすごいピンチのように感じる。日本でそういうバッターはいない」

 ヤンキースと初対戦した4月28日(同29日)は5回5安打無失点8奪三振の快投で勝利投手となったが、2度目の対戦は3回2/3を7安打3失点、この日が4回1/3で4失点と結果を残せず。研究され丸裸にされていることを理解している菅野は、2度目の対戦から白星を手にできていない理由を自己分析する。

「シーズン序盤は、全球種(の割合が)15%くらいで多分投げれてたんですよね、それが強みで。でも対戦していくと球種が偏ってしまって。今日とかも結構左バッターにスライダーを投げたりとかしてすごいいい形で抑えられて。ホームランを打たれたやつ以外は結構左右の揺さぶりを使って、真っすぐとスプリットにならずに、スライダー、シンカーを上手く使って抑えられたので。そういうものを年間通してキャッチャーと組み立てていって、やっていければ、おのずと成績は安定するんじゃないかなと思っています、僕は」

 これは、菅野が響かせる深層の声である。筆者に「僕がこっちに来て戸惑った部分は配球」と明かし、遠征先のサンディエゴで尊敬するダルビッシュに助言を求めたのは9月1日(同2日)のことだった。“キャッチャーと組み立ててやっていければ”には苦悩の時間がにじんでいる。データ活用に長けるダルビッシュにもそれを度外視し持ち堪えたマウンドがあった――。

 2年前の6月、標高が高く打球が飛び変化球も曲がりにくい打者優位のコロラドで節目のメジャー100勝目を挙げたダルビッシュはいみじくも言った。

「1ついい球があればずっと活躍できるかといったらそうじゃなかったり、ずっとコマンド(制球)がよければ勝てるかといったらそうじゃない。(打者との)いたちごっこが、どんどんスパンが早くなっていくというか、若いピッチャーがどんどん速い球を投げてくるし……。速い球を投げるピッチャーがどんどん入ってくると、僕の速い球が遅くなってくるので。そういう面でアジャストしていくっていうのはすごく難しいですけど、でも楽しいです」

 初回にチェンジアップを本塁打されたことから、ダルビッシュは落ちないと予想したスプリットを封印。ツーシームも理想の軌道は描けず、直球とスピン系のカッター、そしてスライダーで投球を組み立てて必死に踏ん張った。右肘の手術も経験し、生存競争が激しいメジャーの世界で12年生き抜いてきたあの日のダルビッシュの言葉がニューヨークで鮮やかに蘇った。

パドレス・ダルビッシュ有と話す菅野智之(左)【写真:木崎英夫】
パドレス・ダルビッシュ有と話す菅野智之(左)【写真:木崎英夫】

30先発で2564球を投じた1年目…「野球人生を思い返してもこれだけ打たれたシーズンはない」

 先の発言にあるように、シーズン序盤の菅野は持ち球6球種をバランス良く配していたが、30登板を終えての割合はスプリットが最も多く24%を占める。また右打者にはスイーパーが35%、左打者にはスプリットが34%で最も多い。捕手との共同作業でこの比率を改善できるかが、来季メジャー残留のカギになると本人は感じている。

「1年間ローテーションを守れたのは及第点かなと思いますけど、僕の中ではもっともっとやれたと思っていますし、野球人生を思い返してもこれだけ打たれたシーズンはない。今年経験できたものっていうのは、すさまじい莫大な量があるので、しっかり自分の中に落としこんで。まだ終わったばっかりなので整理しきれてないですけど、しっかり時間をかけて自分を見つめ直して来年に向かっていけたらなと思います」

 規定投球回にこそ5イニング足りなかったが、菅野は157イニングを投げた。喜びばかりではなく苦悩の日々もあった。心の支えにしてきたのは、日本から唯一持ってきた1枚の写真だった――。

 6歳のときにプレートを土に埋め込んだだけの“マウンド”を自宅の裏庭に作りキャッチボールを教えてくれた祖父、原貢氏である。伯父の原辰徳氏(元巨人監督)の父で、指揮した三池工業と東海大相模で夏の全国制覇を成し遂げたアマチュア球界の名将である。

 今は亡き原貢氏の言葉「やり抜く」を胸にしまい、菅野智之は憧れだったメジャーのマウンドから2564球を投げ抜いた。

○著者プロフィール
木崎英夫(きざき・ひでお)
早稲田大卒。1995年の野茂英雄の大リーグデビューから取材を続けるベースボールジャーナリスト。日刊スポーツや通信社の通信員を務め、2019年からFull-Countの現地記者として活動中。日本では電波媒体で11年間活動。その実績を生かし、2004年には年間最多安打記録を更新したイチローの偉業達成の瞬間を現地・シアトルからニッポン放送でライブ実況を果たす。元メジャーリーガーの大塚晶則氏の半生を描いた『約束のマウンド』(双葉社)では企画・構成を担当。東海大相模高野球部OB。

(木崎英夫 / Hideo Kizaki)

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