18歳で“地獄の登板”「イップスに」 大先輩から飛び交う罵声「どこ投げてるんだ」

元広島・紀藤真琴氏【写真:山口真司】
元広島・紀藤真琴氏【写真:山口真司】

元広島・紀藤氏が振り返るプロ1年目の春季キャンプ

 中京高(現・中京大中京)から1983年ドラフト3位で広島入りした紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は、プロ1年目(1984年)に1軍キャンプメンバーに選出された。高卒ルーキーではただ1人で、もちろん最年少。「嫌で、嫌でしかたなかったですよ」。ミスター赤ヘル・山本浩二外野手ら主力選手を相手にする“恐怖のフリー打撃登板”、高橋慶彦内野手らとの“地獄の投内連係”などで精神面が自然と強化されたという。

 名古屋市出身の紀藤氏にとって広島は馴染みがない土地だった。「初めて来ましたからね。どう思うも何も“未開拓”の地で、何にも知りませんでした」。山本浩二ら主力は知っていても、その他は……。「(カープに)行くって決まってから、どんな選手がいるのか考えたりするようになりましたけどね」と話すが、当然すべてを把握できていなかった。そんな中で沖縄1軍キャンプメンバーに選ばれた。

「いきなりですからね。もう嫌で、嫌で。高校生は1人だけなんですよ。マウンドの整備とかも全部、自分がやらなくちゃいけなかったし……。先輩から調子が悪いとマウンドのせいにされて『誰が整備したんだ!』って怒られたこともあった。こっちは右も左も分からないのに、下手すりゃ、先輩の名前さえ、全員は分かっていないのにね。厳しい先輩もいましたよ。おっかねぇなぁと思って見ていました」

 キャンプでは打撃投手も務めた。「『明日、バッティング(投手)が入っているから』って言われて、やだなぁって思いましたよ。まともに投げられていなかったし、コントロールもそんなによくない。ストライクを投げなくちゃいけないじゃないですか、ストライクを投げられないのに、なんでバッティングピッチャーをさせるのかなぁってね」。その練習メニューを見て、さらに目が点になったという。

「(背番号)2番(高橋慶彦)、3番(衣笠祥雄内野手)、8番(山本浩二)……って書いてあった。くわーっ、ちょっと待ってくれよ、このメンバーに投げるのってね」。当日は準備にも時間をかけた。「しっかりキャッチボールして、入念にブルペンで投げてね。軽く投げて、ストライクなんか入らないんでね。まだフォームもできていないんで。ていうか、もともと自分、高校時代はほとんどが野手だったですからね」。

 本番はやはり大変だった。「衣さんはずっとボールを見送ってくれて『おうナイスボール』って言ってくれるだけで、一切スイングなし。慶彦さんはボール球をずっとカットしているだけ。浩二さんはストライク以外は全然打ってくれないし『もっと軽くでいいから』って言われて逆にイップスになりかけました。(高卒)1年目でなかなかないですよ、あんなこと。よくコーチの人は俺を投げさせたと思います。ぶつけたら、えらいことになりますよね。怪我させたりしたら……」。まさに恐怖の時間だったようだ。

ブルペンで達川から「わしが受けてやるけ、投げて来い」

「投内連係もまたプレッシャーがかかるんですよ。サードが衣笠さん、ショートは慶彦さんですよ。(主力投手の)山根(和夫)さんや新美(敏)さん、池谷(公二郎)さんらと一緒に入るんですよ。まぁ、大変ですよ。当時の先輩たちは、ちゃんと胸に投げないと捕らないですしね。『どこ投げてるんだ!』と怒られて、捕ってこいみたいな感じで。コーチにも『ちゃんと投げんかぁ!』って怒られてね。地獄? ホント、そうですよ」。

 ブルペンもしかりだ。「(2次キャンプ地の宮崎)日南に移動してからかな。投げようと思ったら、記者とかに一番近いところで投げろって言われたんです。嫌だなぁって思っていたら、(捕手の)達川(光男)さんがターッと来られて『お前の球、わしが受けてやるけ、投げて来い』なんて言われて、また緊張して投げるというね。ストライクを投げないといけないから8分とかで投げて、全然何の練習にもならなかったって記憶もあります。まぁ1年目だからしょうがないんでしょうけど」。

 初めてのプロのキャンプは緊迫シーンの連続で、それが一番印象深いという。「(高卒ルーキーは1軍キャンプに)1人だけだから、話し相手もいなかったんですからね、もう参ったって感じでしたよ」。しかしながら「振り返れば、いい経験をさせていただきました。役に立ちましたよ。あのプレッシャーはねぇ」と、いきなりの大試練で精神的に強くなったそうだ。「昔は個性の強い人たちばかりでしたからね」と、紀藤氏は当時を思い出しながら苦笑いを浮かべた。

(山口真司 / Shinji Yamaguchi)

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