初めて見た大都市が大宮「ビルが高くて」 雪国を離れた15歳…甲子園よりも選んだ環境

DeNA、オリックスでプレーした白崎浩之氏
2012年ドラフトでDeNAから1位指名を受けた白崎浩之氏(西武パフォーマンスアナリスト)は埼玉栄高、駒大を経てプロの世界へと歩みを進めた。北海道・岩見沢市出身で、高校進学の際は地元の強豪から声がかかったが、甲子園出場がより現実的な道を捨て、関東進学を選択した。その決断の背景には、野球少年が抱いた揺るぎない夢があった。
2004年、日本ハムの本拠地が札幌に移転してきた。メジャー帰りで現在は監督を務める新庄剛志が入団し、同年11月には札幌ドーム(現プレミストドーム)で日米野球が開催。北海道での野球熱が一気に高まり、中学生だった白崎氏は華やかなプロの世界に胸をときめかせていた。
岩見沢シニアでは投手と遊撃手を任され全国大会で活躍するなど、中心選手として注目。高校進学時には駒大岩見沢高や「ししゃも打線」で知られる鵡川(むかわ)高など地元の強豪から声がかかるも、白崎氏が選択したのは埼玉栄高だった。
「地元に残っていれば甲子園に出られるかなという感触はありました。実際、僕のシニアの仲間は、ほぼほぼ駒大岩見沢に行って、2年のときに選抜大会に出場しています。でも僕はプロ野球選手になりたいと思っていたので、それだったら当時は北海道よりも関東の方がスカウトの目に留めてもらいやすいと思いました。もちろん、甲子園も好きでしたが、僕の中の天秤では甲子園よりプロ野球の方が重かったという感じです」
こうして指導者の縁もあって、埼玉栄高に進学した。関東では「雪が降らないし、寒くても外で野球ができる。1年中、屋外でボールを使った練習ができるというのはすごい環境だと思いました。あと、僕が最初にみた大都市は大宮(さいたま市)だったのですが、ビルが高くて……(笑)」。
とはいえ、進出してきた関東地方でレベルの差は感じなかったという。むしろ「野球の違いはありました。リードの仕方とか、状況に応じたやり方とか、すごく細かく覚えなきゃいけないことが多すぎて戸惑いました。北海道は“ざっくり”と野球をやっていた感じですかね」と笑った。
高校からプロにはいけず「僕に足りない部分あった」
結局、高校3年間では県大会8強が最高で甲子園の土は踏めず、プロからも声はかからなかった。それでも「北海道から出てきて3年間過ごしたことで一歩踏み出せた。大学でキャリアを積んでいこうと」と悲嘆しなかった。高校の2学年先輩だった木村文紀(現西武3軍野手コーチ)が高校生ドラフトで西武から1位指名されていたこともあり、「木村さんくらいにならないと声がかからない。僕にはまだ足りない部分があったので」と、次なる鍛錬のステージへと視線を向けた。
プロでキャリアを積み、引退した今だから分かる。「技術だけでなく、もっといろいろなことを犠牲にして野球と向き合っている人が多分、プロに行っているんだと思います。当時の自分が野球と向き合っていなかったわけではないけど、上のレベルの人の考えを知ったとき、自分は全然甘ちゃんだったな、と思いました」
埼玉栄高を卒業後、駒大に進学した。埼玉栄での3年間で「プロとの距離」を自分なりに掴んだことは大きな財産となった。自らの現在地を知り、さらなる高みを見据えて進んだ駒大での4年間。その先に、ドラフト1位という夢の実現が待っていた。
(湯浅大 / Dai Yuasa)