「若造、手を挙げんかぁ!」コーチの一喝で代役決定 連日のブルペンに疲弊“昭和の起用法”

1988年8月12日の大洋戦で7者連続奪三振の球団タイ記録
先発、中継ぎでフル回転した。元広島右腕の紀藤真琴氏(株式会社EJフィールド代表取締役)は背番号を55から12に変えた入団5年目の1988年にプロ初勝利をマークした。「谷間の先発ですけどね」。加えてロングリリーフもあり、の立場。2勝目を挙げた8月12日の大洋戦(広島)では3回途中から3番手で登板し、6回2/3、無失点。4回2死から6回終了までは球団タイ記録の7者連続三振も達成した。
プロ2年目(1985年)の血行障害、3年目(1986年)の右肩痛を乗り越えて紀藤氏は4年目(1987年)に1軍の舞台を経験し、0勝3敗ながら内容的には決して悪くなく、球団からも、阿南準郎監督ら首脳陣からも今後が楽しみな選手との評価を得た。5年目からは背番号も55から10番台の12に変わった。「なぜ、その番号になったかは、ちょっと覚えていない」と話したが、期待の表れのひとつだったのは言うまでもない。
そんな5年目のシーズン初登板は開幕7試合目、4月17日のヤクルト戦(広島)で先発だった。3回5失点で敗戦投手となってのスタートだったが、そこから中3日で先発の2登板目の4月21日の巨人戦(東京ドーム)では5回0/3、1失点と及第点の投球を見せ、さらに中5日先発の4月27日の中日戦(広島)では7回0/3、3失点でプロ初勝利を挙げた。5-0の8回に中日・落合博満内野手に3ランを浴びて降板したが、津田恒実投手ら救援陣が無失点で切り抜けてくれた。
「落合さんに打たれたのは何となく覚えていますね」と紀藤氏は話したが、当時は与えられたところで投げるのに必死だったという。「だって、あの頃って中継ぎやりながらの先発なんで、調整とかそういうのはないですから。常に中継ぎ待機状態で毎日ブルペンで投げて、谷間(の先発)があったらそこで投げろって感じでしたからね」。5年目は3試合連続先発でスタートしたが、それも言うなれば谷間での先発であり、ローテーションに入っているわけではなかった。
実際、起用法はハードだった。5月4日の中日戦(ナゴヤ球場)に先発して2回6失点で敗戦投手になると、翌5月5日の同カードにリリーフで連投した(2番手で1回無失点)。ロングリリーフもこなした。8月5日の大洋戦(横浜)では2番手で0-5の3回から5回無失点。「当時はそれが当たり前だから何とも思っていなかったですけど、大変といえば大変でしたよね」と苦笑しきりだが、そんな環境下で結果を出した。
8月11日の阪神戦(広島)で0-4の6回から2番手で2回1失点。翌8月12日の大洋戦(広島)は連投で4点リードの3回からマウンドに上がり、6回2/3無失点のロングリリーフでプロ2勝目をつかんだ。しかも抜群の内容だった。打者24人に対して被安打3、奪三振10の快投。4回2死から6回終了までは7者連続三振斬りだ。
「確か8人目は(大洋捕手の)市川(和正)さん。1ボール2ストライクと追い込んでからアウトコースの真っ直ぐがシュート回転して真ん中に入っちゃってポンと当てられて内野ゴロだったんじゃなかったかな」。連続打者三振はそこで止まったが「6回2/3って、それ中継ぎですかっていうイニングですよね。今の時代ではイニングまたぎとか言われるけど、何イニング、またいでいるんだ、ってね」とも口にした。
連投後…新美コーチが一言「おい、そこの若造、手を挙げんかぁ!」
連投での結果だったのだから疲れがあって当然だが、まだそれだけでも終わらない。紀藤氏はそのロングリリーフでの2勝目から中1日で8月14日の大洋戦(広島)にも3番手で登板し、2回1安打無失点。そこから中4日の8月19日の中日戦(広島)には先発して6回1/3、2失点投球を見せ、降板時には1点リードしていたが、救援陣が打たれて勝ち星を逃した。その次に中5日で8月25日のヤクルト戦(広島)に先発して1回1/3、5失点でKOされると、また中1日でリリーフだ。
当時の登板間隔を思い起こしながら「打たれたのはもう疲れですよ。絶対に。何か、まるでドリフの“駄目だこりゃシリーズ”みたいですよね」と笑うばかり。そして、こんなことも話した。「その年かなぁ、寒い日で北別府(学)さんが先発予定だったんですけど、外野でピッチャーが集まった時に(1軍投手コーチの)安仁屋(宗八)さんが『おいペイ(北別府投手)今日どうするんや』って言い出したんですよ。そしたらペイさんが『肘の状態があまりよくないんでやっぱりやめとこうかな』って」。
そこから笑えない展開になったという。「安仁屋さんが『じゃあ誰が投げる。投げたいヤツおるか、誰か手を挙げい』って。誰も手を挙げなかったんです。自分も黙って聞いていたんですけど、(もうひとりの1軍投手コーチの)新美(敏)さんに言われたんですよ。『おい、そこの若造、手を挙げんかぁ!』って。“ええーって”思いましたよ。だって前の日くらいに中継ぎで投げているんですよ。でも『じゃあ投げます』と言いました。そういう時代でしたから。確かその日、いいピッチングしたと思いますよ」。
プロ5年目の背番号12・紀藤氏は10月12日の大洋戦(広島)でプロ初完投勝利を挙げるなど、10先発を含む31登板で4勝3敗、93回1/3を投げて防御率3.66の成績を残した。「まぁ、疲れたなぁ、そのシーズンは本当に」としみじみと話したが、その翌1989年はさらなる過酷な日々が待っていた。背番号が今度は11に変わるプロ6年目(1989年)。山本浩二監督、大下剛史ヘッドコーチの新体制下で紀藤氏はまた鍛えられていく。
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)