即戦力のはずが防御率12点台 1年目で知った現実…中日OBから「ケチョンケチョンに」|球界群像 米村明#17
元中日・米村明氏【写真:山口真司】パームを習得し1軍で活躍…米村氏の運命を変えたOBの指摘
元中日投手の米村明氏は、パームボールを武器に先発でもリリーフでも活躍した。背番号19の左腕が、その球を完全習得したのはプロ2年目(1986年)だ。1年目秋から練習を始め、コツコツと1段階ずつクリアし翌年のシーズン中に自分のものにした。中日の大物OBから「お前の真っ直ぐがプロで通用するわけないだろ!」と厳しく指摘されたことが、習得のきっかけになったそうだ。
社会人野球・河合楽器から1984年ドラフト5位で中日入りした米村氏だが、プロの世界は甘くなかった。1年目は10登板で0勝0敗、防御率12.60。シーズン後半はずっと2軍暮らしだった。レベル差を痛感し「どうすればいいだろうか」と思案しながら迎えた秋季キャンプで“転機”が訪れた。「確か臨時(投手)コーチで来られていたと思うんですけど、(中日OBの)杉下(茂)さんにケチョンケチョンに言われたんです」。
杉下氏は1954年に32勝をマークし、「フォークボールの神様」と呼ばれた中日の大エースであり、監督も務めた大物OBだ。米村氏は、そんな偉大な人に「『お前みたいな真っ直ぐがプロで通用するわけねーだろ! サイドスローにしろ!』って言われたんです」と明かす。そして、指示通りにサイドスローの練習を始めたという。「(ストレートの)球速は基本的に137か138くらいでしたからね」。
加えて取り組んだのが、背番号19の先輩である元新人王右腕・藤沢公也投手が武器にしていたパームボールの習得だった。「僕がサイドスローを練習していると、当時、2軍マネジャーだった福田(功)さん(元中日捕手で中大の先輩)が、『藤沢さんが投げていたような球も覚えてみたらどうだ』と握り方だけ教えてくれたんです」。杉下氏の厳しい指摘をきっかけに変わろうと考えていた矢先だった。「プロで生きていく道はそれしかないと思いました」。
プロ初打席で本塁打「運を使い果たしました」
(山口真司 / Shinji Yamaguchi)
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