忘れられない甲子園 最後の春を戦った台湾人留学生

日本語も話せず、連係プレーにも支障が出た

 涙をぬぐおうとはしない。ベンチ前で泣き崩れる1人の高校生を整列させようと、仲間が手を貸していた。まるで夏の甲子園で敗れたときのような光景だった。八戸学院光星(青森)が龍谷大平安(京都)に敗れた2回戦。3月29日のことだった。

 泣いていたのは、台湾からの留学生、蔡鉦宇(サイ・セイウ)一塁手だった。台湾で一度高校に入学していたため、高野連規定でこの選抜が高校生活最後の大会だった。八戸学院光星・仲井監督の東北福祉大時代の関係者を通じて、日本にやってきた。甲子園を目指し、プレーしてきた。

 マイナスからのスタートだった。最初は食事や文化も合わず、故郷の方角を見ながら、途方に暮れていた。日本語も話せなかった。指導者の指示も最初は何を言っているかわからず、連係プレーにも支障が出た。

 それでも必死に仲間の言葉をまねるなどして、自分なりの方法で日本語を習得。同校には大阪や兵庫から野球留学をしている生徒が多かったため、関西弁を仕込まれることもあった。

 明るい性格だったことでナインは偏見を持つことなく、蔡くんを迎え入れた。距離はどんどん縮まっていった。中学時代に台湾代表に選ばれるほど実力はあり、新チームの秋の東北大会では本塁打も放った。クリーンアップに座り、不可欠な戦力になっていった。

 昨年秋の県大会と東北大会。これが蔡くんにとって最後の甲子園出場のチャンスだった。仲間は誓い合った。「蔡のために甲子園に行くぞ。蔡を聖地に連れて行こう」。蔡くんはこの時のことをこう振り返った。

「そういう気持ちが本当にうれしかったです。甲子園出場が決まったら、今度は1日でも長く蔡と一緒に甲子園で戦おうと言ってくれた。みんなそうやって冬の厳しい練習を乗り越えてくれた」

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