【中村紀洋の目】1球ごとに軌道が違うフォーク…打席に立って衝撃を受けた「野茂英雄」の凄さ
「伝説の人」とは2度対戦、打席に立つと凄さを感じさせられる投手
中村紀洋です。今回は野茂英雄さんについてお話しさせていただきます。僕にとって野茂さんは特別な人です。野球界にとっても伝説の人だと思います。野茂さんが近鉄からドジャースに入団しなければ、今のように日本人選手がメジャーリーグで活躍する時代は来なかったのではないのでしょうか。今まで日本人選手が目標にもできなかったメジャーリーグという舞台で、入団1年目から3年連続2桁勝利を挙げるなど大活躍されたからこそ、メジャーの球団フロント、首脳陣、選手たちの日本人を見る目が変わったのではないかと思います。野茂さんの残した功績を考えると、日本でもっと評価されても良いのではないかと個人的に思います。
実は野茂さんと対戦したことが2度あります。僕が高卒で近鉄に入団して1、2年目だったと思います。当時野茂さんは近鉄のエースとしてバリバリ活躍されていました。紅白戦で打席に立った時、マウンドで他の投手とは違うオーラが出ていました。直球を打ったのですが、二飛だったと記憶しています。自分の中では捉えたと思ったのですが、野茂さんの直球はカットして浮き上がってくる軌道でした。あんな直球は見たことがなかったので衝撃を受けました。
2回目は04年に右膝の治療を兼ねてドジャースのスプリングキャンプに招待選手として参加した時でした。野茂さんはフリー打撃に調整で登板したのですが、フォークの軌道が1球ごとに違ったのを覚えています。右打者の膝元に食い込んできたり、右打者の外角に逃げる軌道なのでなかなか打てません。見ている方は球種が直球とフォークの2種類だけなのに、なぜ打てないんだろうと思うかもしれませんが、打席に立つと凄さを感じさせられる投手でした。
寡黙なイメージがあるかもしれません。実際に近鉄時代は大先輩でしたし、投手と野手で練習メニューも違うのでご挨拶ぐらいしかできませんでしたが、米国に行った際は「ノリちゃん、ご飯行こうか」と誘っていただいたり、大変優しい人でした。現役引退後も「NOMOベースボール」を設立し、少年野球のジュニアオールジャパンの総監督を務められるなどアマチュア野球の発展に尽力されています。私が浪人していた時は「NOMOベースボール」のグラウンドを貸していただきました。本当にありがたかったですし、今でも感謝の気持ちでいっぱいです。野球だけでなく、野茂さんと過ごした日々は大きな財産ですし、その生き方は僕にとって勉強になることが非常に多いです。(元近鉄、ドジャース、オリックス、中日、楽天、DeNA内野手)
文/構成 インプレッション・平尾類