村田兆治から黒田博樹まで 平成時代の「名球界」入り投手は9人

ヤンキース在籍時の黒田博樹氏【写真:Getty Images】
ヤンキース在籍時の黒田博樹氏【写真:Getty Images】

200勝は6人&250セーブは3人、今後はホールドが入会資格になる可能性も?

「日本プロ野球名球会」は、日本プロ野球で偉大な功績を残した選手を顕彰し、野球を通じての社会貢献を行う団体だ。通称「名球会」。

「名球会」の入会資格は当初、投手は「通算200勝」、打者は「通算2000本安打」の2つだけだったが、のちに「日米通算」も可能となった。さらに「250セーブ」も入会資格となった。また当初は「昭和生まれ」となっていたが、現在は「昭和以降生まれ」となっている。

 平成時代の「名球会」入会選手の投手の顔ぶれを見ていこう。

【投手編】
◯200勝達成投手。達成日順。数字は最終の勝利数。

平成元年5月13日 村田兆治(ロッテ)215勝
平成4年7月16日 北別府学(広島)213勝
平成16年8月17日 工藤公康(西武)224勝
平成17年6月15日 野茂英雄(ロイヤルズ)201勝(日78/米123)
平成20年8月4日 山本昌(中日)219勝
平成28年7月23日 黒田博樹(広島)203勝(日124/米79)

 村田は1949年11月27日生まれの69歳。1983年にトミー・ジョン手術を受けて84年に復帰し、以後も勝ち星を積み重ねた。日曜日ごとに登板して「サンデー兆治」と呼ばれた。以後、NPB単独では北別府、工藤、山本昌が200勝のテープを切ったが、それ以降は途切れている。

 ローテーションが確立され、200勝は「絶滅危惧種」的な記録になっている。現役ではヤクルトの石川雅規の163勝が最多だ。日米通算ではヤンキース田中将大の165勝(日99/米66)が最多。令和に入ってもしばらくは達成者は出そうにない。

◯250セーブ達成投手

平成12年7月16日 佐々木主浩(横浜)381セーブ(日252/米129)
平成15年8月16日 高津臣吾(ヤクルト)313セーブ(日286/米27)
平成22年6月16日 岩瀬仁紀(中日)407セーブ

 セーブはNPBでは1974年から導入されたが、平成になって投手の分業が進み、セーブ数は増加している。名球会入りした3人のクローザーは、いずれもNPB単独で基準となる250セーブ以上を記録している。

 現役選手ではソフトバンクのサファテが234セーブ、阪神の藤川球児が225セーブだが、サファテは故障明けで出遅れ、藤川もクローザーではない。現役のクローザーではオリックスの増井浩俊が151セーブしているが、250セーブまではまだかなりある。

 打者とは対照的に、投手は令和に入ってしばらくは「名球会」入り選手は出てきそうにない。近年は、セットアッパーの役割が大きくなっている。今年に入って日本ハムの宮西尚生が史上初の300ホールドを記録したが、今後は「ホールド」あるいは「HP(ホールドポイント)」が入会資格になる可能性もあるだろう。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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