【高校野球】聖光学院の“一人勝ち”はいつまで継続されるのか 福島の勢力図の変遷とは
今世紀の福島の甲子園出場で、聖光学院は占有率71%を超える
2001年以降、福島県内の夏の大会で絶対的な強さを見せている聖光学院。OBには園部聡(オリックス)や歳内宏明(阪神)など超高校級の選手らが名を連ね、県内だけでなく甲子園でも堂々たる試合を繰り広げている。そんな聖光学院はどのように福島県の絶対王者になったのか。そして今後の福島県の勢力図はどのようになっていくのだろうか。
夏の大会は9年連続で聖光学院が甲子園に出場している福島県。今世紀に入って、つまり2001(平成13)年以降、福島県からの甲子園出場校を見てみると、21世紀枠で最初に出場した安積と13年の21世紀枠代表のいわき海星を含めて、延べ21校ある。そのうちの15回が聖光学院となっている。なんと占有率71%を超えているのだ。さらには、夏に絞ってみると12回の出場。春は21世紀枠の両校を除くと聖光学院の4回の出場以外はない。
つまり、それだけ聖光学院が県内で突出した力を示しているということである。ちなみに、聖光学院以外の甲子園出場校としては、02、03年の日大東北と、06年の光南だけである。日大東北は、96年夏から3年連続出場を果たすなど、聖光学院が台頭する前までの福島県をリードしていた。
そして、その前が学法石川と福島商で競い合うという構図となっていた。福島商は胸に「Fc」のマークが伝統のユニホームだが、県立商業で野球部の人気としては地元で一番といってもいい存在だろう。ただし、なかなか甲子園では上位に残れないというのも現実だった。
学法石川は、甲子園のアルプススタンドで亡くなった柳沢泰典前監督がグラウンド作りから始めて、選手獲得など現在の同好のすべてを作り上げた。チーム強化の一つの方策としては、県外選手の獲得にも積極的で、91年には春夏連続で甲子園に出場。エース川越英隆投手(青山学院大→日産自動車→オリックス)は神奈川県出身だったが、県外の少年野球から福島県の高校野球というルートを確立していった先駆けともいえる。
日大東北と聖光学院は学法石川を追いかけて力をつけてきたという形である。聖光学院は99年9月に斉藤智也監督が就任して、その2年後の01年夏に初出場を果たした。もっとも、その際には明豊に0-20と記録的な大敗をしていたのだが、そこからの挽回が素晴らしかった。
2度目の出場となった04年夏には本間裕之投手が初戦で鳥取商を完封、2回戦でも市立和歌山商(現市立和歌山)に勝利して甲子園2勝を挙げている。翌年夏も初戦突破、2年後の07年夏も甲子園2勝と、むしろ甲子園で初戦敗退しないチームとなっていった。勝てなかった春も3回目出場の12年に岡野祐一郎(青山学院大)が鳥羽に2安打で完封勝ち。翌年春も益田翔陽、鳴門を下してベスト8に進出。こうして、着実に実績を積み上げていった。