【あの夏の記憶】辞める寸前だった―松山商OB矢野さんが明かす奇跡のバックホーム秘話
愛媛朝日テレビ、営業局営業部副部長の矢野勝嗣さん【第2回・高校時代編】
1996年夏の甲子園で優勝した松山商(愛媛)。熊本工(熊本)との決勝戦で、同点の延長10回裏、1死満塁で右翼手・矢野勝嗣さんのダイレクト送球で、三塁からのタッチアップ、サヨナラを阻止したプレーは「奇跡のバックホーム」として、高校野球史に語り継がれている。現在、愛媛朝日テレビで営業局営業部の副部長となった矢野さんは「毎日、辞めようと思っていた」と野球部を退部寸前だったことを告白。前回に続き、“あの夏の記憶”を掘り起こしてもらった。
右腕をぐるぐると回して、ベンチから右翼の守備に就いた。その時の表情は意気揚々としている。そして、あの伝説の返球で走者をアウトにすると、喜びを爆発させてベンチに戻った。高校野球史を振り返る上で、今もなお流れている映像だ。
「絶体絶命のピンチだったんですが、決勝戦に出られる喜びの方が大きかったですね」
延長10回裏、松山商は二塁打と犠打、2敬遠などで1死満塁。ここで松山商・澤田勝彦監督は投手から右翼にまわしていた新田浩貴投手をベンチへ下げ、強肩の矢野さんを右翼に起用した。そして、その直後、次打者の初球が右翼へ上がった。浜風に押し戻された大飛球を捕球した矢野さんは、無我夢中で本塁へノーバウンド返球。ピンチを防ぎ、指揮官の期待に応えた。
「へたくそで、失敗ばかりしていた僕を監督が最後に使ってくれました。今も感謝の思いを持っています。最後まで諦めずに見てくれていたので、僕もそれを信じて、高校野球をやってこられました」
矢野さんは背番号9でも「控えの外野手」だった。しかし、監督は勝負所で起用し、その直後に起きた伝説のプレー。「奇跡」と言われる一方で、選手をしっかりと見続けてきたからこそできた采配だった。
当時の優勝メンバーは年に1度、澤田監督を交えた“忘年会”で集まる。今でこそ笑顔だが、グラウンドでは厳しい監督だった。
「歯を見せて笑っているイメージはないですね。ピリっとした空気が何とも言えない感じでした……」
練習は厳しかった。新チームが始まってから矢野さんは精神的に“ギリギリ”のところまで追いつめられていた。