西武台32年ぶり出場ならず エース増田の父は当時の主力「もっといい投手に」

福喜多繁尊コーチの話を聞く西武台の選手ら【写真:河野正】
福喜多繁尊コーチの話を聞く西武台の選手ら【写真:河野正】

西武台は昨年関東大会準々決勝で、優勝した健大高崎に惜敗

 第92回選抜高校野球大会の出場校を決める選考委員会が24日、大阪市内で開かれ、地域への貢献度や学業との両立などから選ばれる『21世紀枠』の3校を合わせた出場32校が決まった。

 総枠6校となっている「関東・東京」からは、昨秋の関東大会を制した健大高崎(群馬)、準優勝の山梨学院(山梨)、4強の東海大相模(神奈川)と桐生第一(群馬)、東京大会優勝の国士舘の5校が順当に選出された。残り1枠は関東大会ベスト8の花咲徳栄(埼玉)に決まり、同大会準々決勝で健大高崎に2-3と惜敗し、32年ぶり2度目の出場の可能性を残していた西武台(埼玉)は選ばれなかった。

 就任6年目の河野創太監督は「悔しいです。本当に悔しいが、(選考されることよりも)春と夏の県大会で勝つことしか考えていなかったので、実力で甲子園出場を勝ち取れるように頑張りたい。落ち込んでいる選手もいるので、気持ちを切り替えさせます」と淡々とした口調の中にも悔しさをにじませた。

 学校の食堂で落選を知らされた主将の小松大空は「(学校名を)呼ばれず悔しい。やっぱり花咲徳栄のほうが上でした。でもまだ夏があるので割り切りたい。春も夏も勝ってこの悔しさを晴らしたい」。身長163センチで、昨秋の登録メンバーの中で最も小柄な二塁手は胸を張って前を向いた。

 西武台は昨秋の埼玉県大会で準優勝し、23年ぶり4度目の出場を果たした関東大会でベスト8進出。花咲徳栄も関東大会では準々決勝で山梨学院に1-2で敗れた。同じ惜敗なら優勝校、しかも明治神宮大会2位の健大高崎に屈した西武台が優勢との見方もあった。しかし県大会決勝では花咲徳栄が8-3と快勝しており、選考委員会では最終枠候補を花咲徳栄と東京大会準優勝の帝京に絞って比較。西武台は6枠目としては対象外だった。

 西武台は1987年、出場2度目の秋季関東大会で準決勝に進み、第60回選抜高校野球大会に初出場。初戦の2回戦で福井商(福井)を10-4と圧倒したほか、いまだに大会記録である1試合最多の10犠打(送りバント9、犠飛1)を樹立した。3回戦では準優勝した東邦(愛知)に0-1で敗れた。

 現チームのエース左腕・増田優真の父・要さんは、この大会に「3番・右翼」で出場している。増田は「父は昨晩、甲子園に出たいなあ、と話していました。悔しい。もっといいピッチャーに成長できるよう努力します」と夏を見据えた。

(河野正 / Tadashi Kawano)

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