“パイオニア”野茂英雄氏、米球界移籍手続きの簡素化望む、海外紙が報じる
シンガポールで野球クリニックに参加し、取材に応じる
11日に日本ハムの大谷翔平投手が、ポスティングシステム(入札制度)を利用したメジャー移籍の意思を表明した。今となっては馴染みの制度となったポスティングシステムだが、日米間に初めてこの制度が生まれたのは1998年のこと。1995年に野茂英雄氏が近鉄を任意引退し、ドジャースへ移籍したことがきっかけだった。制度が誕生してから20年。日本人メジャーリーガーの“パイオニア”的存在の野茂氏は、日本人選手がよりメジャーへ移籍しやすい環境が生まれるように願っているという。シンガポールの地元紙「ストレーツタイムス」電子版が伝えている。
12日にシンガポールで開催された野球クリニックに参加した野茂氏は、200人の子供たちに野球の楽しさを伝え、指導した後に、地元紙の取材に応じている。日本人初メジャーリーガー村上雅則氏から約30年経っての米球界挑戦となった1995年当時を振り返り、「メジャーに行けたことだけで本当にうれしかったんです。だから、1球目を投げた時にとても興奮したことを覚えています」と通訳を介して話したという。
それまで日本人選手は1軍登録が9年になるフリーエージェント(FA)しか米球界へ移籍できなかったが、野茂氏の活躍を受けて、FA前でも球団の承認があれば移籍できるポスティングシステムが誕生。この制度を利用して、松坂大輔、田中将大、ダルビッシュ有ら、数々の日本人選手がメジャー移籍を果たした。そして、今オフには“二刀流”大谷が移籍しようとしている。
2020年の東京五輪では野球が正式競技に復活。世界はもちろん、日本で野球人気が広まるためにも、野茂氏は制度が選手の障害になるべきではないと考えているようだ。記事によれば「自分たちの時代は、メジャーにFA移籍することはとても大変でした」と話し、「今は以前より簡単になりましたが、将来的にはさらに手続きがシンプルになればいいと思いますね」と、米球界移籍手続きの簡素化を望んだという。
制度に縛られることなく、プレーしたい場所でプレーできる。そんな選手の可能性を広げる環境作りを、パイオニアは願っているようだ。
(Full-Count編集部)