日ハム宮台はプロ3年目で戦力外通告 東大出身選手のプロでの活躍は?
井手峻は代走、守備固めとして巨人V10阻止に貢献、小林至は引退後に鷹フロントとして活躍
日本ハムは25日、鈴木遼太郎投手、宮台康平投手、吉田侑樹投手、姫野優也外野手の4選手に対し、来季の契約を結ばないことを通達したと発表した。
宮台は2017年ドラフト7位で東大から日本ハム入り。プロ1年目の18年8月23日のソフトバンク戦でプロ初登板初先発。東大出身者の先発は1967年の井手峻(中日)以来51年ぶりだった。結果は5回途中4安打6四死球2失点で勝ち負けは付かず。その後は1軍登板のチャンスをつかむことはできなかった。プロ3年目の今季もイースタンで14試合登板、0勝4敗、防御率7.71と結果を出せていなかった。
東大出身のプロ野球選手は何かと注目されることの多い。1人目の新治宣治投手はサラリーマンとして入社した大洋漁業(マルハニチロ)で大洋(現DeNA)に出向してプロ野球選手に。65年に40試合登板、5勝2敗、防御率3.16。66年も37試合登板、4勝4敗、防御率3.60と結果を残した。しかし、その後は登板機会が減少。68年オフに現役引退した。引退後は親会社へ復帰し、横浜の球団顧問を務めた。
井手峻投手は66年ドラフト3位で中日入り。ドラフト制度発足後は東大初の指名選手だった。1年目の67年に17試合登板(3先発)して1勝(4敗)を挙げたが、その後は故障に苦しんだこともあって外野手に転向。代走や守備固めが多かったものの、73年には83試合。74年には自己最多84試合出場して巨人のV10を阻止するリーグ優勝にも貢献した。76年オフに現役引退したが、通算359試合出場は東大出身者としては歴代最多。引退後は中日で1軍守備走塁コーチなどを歴任。球団代表を務めるなどフロントとしても中日を支えた。
小林至投手は92年ドラフト8位でロッテ入り。2年間の現役生活で1軍登板は1度もなかったが、引退後は05年からソフトバンクの取締役などを務めた。14年に退団するまで3軍制度を導入するなど、現在のホークス黄金期の礎を築いた。遠藤良平投手は99年ドラフト7位で日本ハム入り。1軍1登板で現役生活は2年間だったが、引退後にフロント入り。15年からはGM補佐を務めている。
松家卓弘投手は04年ドラフト9位で横浜入り。09年にプロ初登板を果たし、9試合登板、0勝1敗、防御率4.60をマークした。09年オフに日本ハムへトレード移籍。10年に5試合登板、防御率4.26を記録したものの、11、12年と登板機会はなかった。
過去の東大出身選手を振り返ると、プレーでチーム貢献できなかったとしても引退後にスーツ組として球界に貢献してきた人物は多い。東大出身者としては史上6人目のプロ野球選手だった宮台が、今後どのようなキャリアを積んでいくのか注目していきたい。
(Full-Count編集部)