理由は「僕を見てくれない」 練習中断に衝撃「ちょっと待って」…阪神コーチが得た教訓
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理由は「僕を見てくれない」 練習中断に衝撃「ちょっと待って」…阪神コーチが得た教訓
阪神右腕が悟った終焉の時 “侮り”が生んだ絶望、相手に伝えた「お前のせいで辞めたんや」
1973年に年間22勝をマークした伝説のアンダースロー、上田二朗氏(野球評論家)はプロ13年目の1982年に現役を引退した。シーズン途中の6月に南海から阪神に復帰したが、8…
“因縁の監督”に聞いた冷遇の真相 阪神退団も…またも共闘「考えられません」
まさかだった。NPB通算92勝のアンダースロー右腕・上田二朗氏(野球評論家)は1979年、ドン・ブレイザー監督体制の阪神で出番激減もあって、オフに南海へ金銭トレードで移籍し…
20点差で敗戦処理、元エースが味わった“冷遇” 新監督に相手にされず…待っていたトレード
1973年に阪神で22勝を挙げたアンダースロー右腕の上田二朗氏(野球評論家)は、プロ10年目(1979年)のオフに南海へ移籍した。金銭トレードだった。阪神がドン・ブレイザー…
2桁勝利でも敗戦処理、間隔空く登板 阪神右腕が抱いた不満「何で投げさせてくれないのか」
元阪神、南海のアンダースロー右腕・上田二朗氏(野球評論家)は登録名の“名前”を何度か変更したことでも知られている。12勝を挙げたプロ7年目の1976年までは本名の「上田二朗…
長嶋茂雄を前に「嫌です」 名捕手の提案をキッパリ拒否も…直後に狂った手元
阪神のレジェンド右腕・上田二朗氏(野球評論家)は、22勝を挙げたプロ4年目の1973年シーズンで惜しくもノーヒットノーランの偉業達成を逃した。7月1日の巨人戦(甲子園)で9…
ドラ1入団→前半戦7勝も「丸裸にされた」 球宴中に巨人捕手から“呼び出し”「受けてやる」
巨人の正捕手に丸裸にされた? 元阪神のアンダースロー右腕・上田二朗氏(野球評論家)はプロ1年目の1970年に27登板、9勝8敗、防御率3.00の成績を残した。2桁勝利に届か…
ドラ1入団も「口で言えないようなつらさ」 思わぬ“洗礼”…阪神右腕が抱えた苦悩
屈辱からのスタートだった。1969年ドラフト1位で阪神に入団した右腕・上田二朗氏(野球評論家)はプロ1年目(1970年)の高知・安芸キャンプでいきなり悔しい思いをした。「“…
“上から目線”の同期「見下ろされている」 ラジオで増幅した中日ドラ1への敵対心
阪神、南海で通算92勝を挙げ、現在は野球評論家を務める上田二朗氏は1969年ドラフト会議で阪神に1位指名され、東海大出身では初のプロ野球選手になった。出身地・和歌山の社会人…
「学生にあるまじき発言だ!」大学総長が激怒…エースに託された日本一の約束
元阪神、南海右腕の上田二朗氏(野球評論家)は1969年、東海大4年の時にエースとして全日本大学野球選手権初制覇に大貢献した。前年(1968年)の明治維新百年記念明治神宮大会…
18歳の江夏に“絶望”「来るのはやめてくれ」 阪神元ドラ1が受けた衝撃「私の出る枠が」
あの頃から凄かった……。NPB通算92勝のアンダースロー右腕・上田二朗氏(野球評論家)は阪神時代、江夏豊投手との両輪で大活躍したが、1歳年下の左腕とは東海大学時代にも“接点…
「天井に全部貼れ」監督から仰天指令 阪神ドラ1の覚醒呼んだ“レジェンド右腕”の写真
徹底的に真似した。1973年に阪神で22勝を挙げた上田二朗氏(野球評論家)は1966年の東海大進学後、メキメキと力をつけていった。和歌山・南部高2年夏(1964年)から取り…
入寮日にまさかの難題「全部投げさせる」 緊迫の監督室…阪神ドラ1が忘れぬ“開幕投手”
阪神の伝説のアンダースロー・上田二朗氏(野球評論家)は東海大1年(1966年)春の首都大学リーグで開幕投手を務め、完投勝利を飾った。1年生右腕の鮮烈デビューだったが、実は入…
名門大から勧誘も拒否「やめてください」 優先した“運命の出会い”…阪神ドラ1の分岐点
阪神のレジェンド右腕・上田二朗氏(野球評論家)は1966年、東海大に進学した。大学時代にプロから注目される投手に大きく成長していくのだが、そもそも1965年、南部高3年夏の…
日常生活も困難…我慢の投球も「痛けりゃやめろ」 監督の“非情通告”にこぼれた涙
何をするのも痛かった。阪神時代の1973年に22勝を挙げた伝説のアンダースロー・上田二朗氏(野球評論家)は、和歌山・南部高2年の1964年夏過ぎに上手投げから変えた。南部・…
連日40度超えの高熱…医師から「厳しいよ」 元阪神右腕が直面した“危機”「命だけは」
元阪神、南海の名投手・上田二朗氏(野球評論家)は和歌山・南部高時代に大病を患った。1964年1月、高校1年の冬に体に異変が生じた。髄膜炎になり「1週間くらい40度超えの熱が…
志願の強豪校入学も「金魚のフンだった」 阪神レジェンドが苦しんだ「No.2」の現実
華麗なアンダスローとしてNPB通算92勝を挙げた、阪神レジェンドの上田二朗氏(野球評論家)は1963年、和歌山・南部高に進学した。「その頃、和歌山で一番野球が強かった学校だ…
元阪神ドラ1を変えた挫折 同級生が15歳でプロ入り…屈辱の手伝い「涙がボロボロ」
下手投げ投手として阪神、南海で通算92勝を挙げた上田二朗氏(野球評論家)は和歌山・田辺市立明洋中学から本格的に野球をはじめた。同級生に15歳でプロ野球・大洋入りする強烈な競…
元阪神右腕を育んだ“異種競技”「ガリガリだった」 年間22勝…レジェンドの原点
阪神で大活躍した伝説のアンダースロー投手が上田二朗氏(野球評論家)だ。東海大から1969年ドラフト1位でタイガースに入団。プロ1年目から頭角を現し、4年目の1973年には2…
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