中日OBが危惧する「気が抜けたようなプレー」 低迷打開へ…望む“ドーム改造”
川又米利 ニュース・速報
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引退試合を固辞「狙わせてください」 プロ人生最後の“わがまま”…トップをかけた5番勝負
最後は“5番勝負”に挑んだ。元中日で野球評論家の川又米利氏は1997年シーズン限りで現役生活を終えた。ドラゴンズ一筋19年。1988年のリーグ優勝に貢献するなど、球団にとっ…
無安打地獄で「もう参りそう」 心折れかけた“1打席勝負”…救ったのは「やっぱり葛西」
星野仙一氏が中日監督に復帰したのは1996年シーズン。闘将の第2次政権が始まった。元中日で野球評論家の川又米利氏は当時、プロ18年目。この年から代打オンリーで勝負することに…
伝説の「10・8」決戦後にあったドラマ 選手が監督に“続投”直訴も…悪夢の転落劇
あれで良かったのか、悪かったのか……。元中日の川又米利氏(野球評論家)は1992年から3シーズン、中日の選手会長を務めた。その間での一番の思い出は巨人・長嶋茂雄監督が「国民…
大一番で股間を抜けた打球「やっちゃった」 鬼の形相の指揮官が…意気に感じた“温情”
よく怒られたけど……。元中日で野球評論家の川又米利氏の野球人生において欠かせない人物は、何といっても星野仙一氏だ。その現役時代からお世話になり、監督と選手の関係になってから…
悪夢の連敗でバスが「お通夜みたい」 空港から直行…”真夏の方針転換”に「勘弁して」
野球評論家の川又米利氏は中日での19年間の現役生活では、祝勝会でのビールかけを経験していない。中日は1982年と1988年にリーグ優勝を成し遂げたが、1回目は優勝決定直前に…
殊勲打なのに顔面蒼白 「打たなければよかった」…ベンチも怒り心頭の“衝撃大失敗”
どやされて、どやされて、どやされて……。元中日の川又米利氏(野球評論家)は星野仙一監督に何度も怒られたという。実際“やらかしプレー”も多く、土壇場の9回裏に同点タイムリーを…
ラフプレーに激高も…一瞬で形勢逆転した赤ヘル軍団 “殺気”に満ちた因縁対決
1987年シーズンから燃える男が、闘将となって中日に帰ってきた。川又米利氏(元中日、現野球評論家)にとって最大、最強の恩師・星野仙一監督の下での“闘い”の日々のスタートだ。…
不動のレギュラーがまさかの電撃移籍 7人の“大激戦”抜け出した大投手からの一発
ついに1軍定着の扉をこじ開けた。元中日の川又米利氏(野球評論家)は、プロ7年目の1985年シーズンで初めて規定打席に到達した。122試合に出場し、打率.290、9本塁打、4…
19歳でプロ人生暗転「腰がぶっ飛んだ」 ちらつく戦力外…打撃見失った“地獄の日々”
1軍の壁にブチ当たった。元中日の川又米利氏(野球評論家)は、高卒1年目の1979年シーズンを5月以降、最後まで1軍で過ごした。打撃に関してはそれなりの自信もあったが、ナゴヤ…
監督の交代指示も「納得できない」 若手は直立不動…無茶苦茶なエースの“反抗”
燃える男の猛烈アクションに震えた。野球評論家の川又米利氏は、早稲田実から1978年ドラフト外で中日入りした。1979年の1年目は5月に1軍昇格。46試合で打率.277(47…
甲子園常連校が敗退危機 9回2死で5点差も…“止めたバット”から始まった大逆転劇
高校最後の夏はギリギリだった。野球評論家の川又米利氏(元中日)は早稲田実で2年春から3年夏まで4季連続甲子園に出場した。どの時代にも思い出はあるが1978年の3年夏、東東京…
「今思えば欲しかった」聖地の土 甲子園4度出場も…こっそり集めたスパイクの刃の“欠片
元中日の川又米利氏(野球評論家)は早稲田実時代、2年春夏、3年春夏と4季連続で甲子園に出場した。ベスト8、ベスト8、2回戦敗退、1回戦敗退だったものの、貴重な経験になった。…
誘惑で辞める寸前から中1で日本代表のエースに 異国で痛感した理不尽な“ハンデ”
小学生時代から国際試合を経験した。元中日の強打者で野球評論家の川又米利氏は少年野球の名門「調布リトル」出身で、中学1年時にはエースとして活躍した。「最初は背番号103だった…
槙原寛己を仕留めた「巨人しか知らない」男 憧れの長嶋茂雄氏がつけた“異名”
調布リトル、調布シニアで小学生時代にも、中学生時代にも日本一を経験した。早稲田実では甲子園に春2回、夏2回出場し“王貞治2世”と騒がれた。プロでは現役時に燃える男、監督時に…
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