「ごめんって顔をしている」 “内角攻め”で生きた右腕が指摘する現代野球の物足りなさ
鹿島忠 ニュース・速報
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参入問題の渦中に告げられた「ウチに決まりなんで」 “既定路線”で決まった楽天コーチ
あの名将の野球に触れることができた。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は2005年、誕生したばかりの楽天で2軍投手コーチを務めた。野村克也氏が監督に就任した翌2006年は1軍…
「来年はまた1軍で」の約束も “落合体制”への移行で水の泡…弾き出されたコーチ
コーチ業の難しさを知った。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は2001年から2003年まで中日投手コーチを務めた。1年目は1軍ブルペン、2年目は1軍のメイン、3年目は2軍サブ…
「いらねぇって言われた気分」 引き際を意識した無情な一撃…“演技”続けた男の終焉
最後は敵地・東京ドームでの巨人戦だった。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏はプロ14年目の1996年シーズン限りで現役を引退した。恩師である星野仙一監督の第2期政権の1年目だ…
監督から「やめろ」 マウンドで“くちゃくちゃ”に抗議殺到…取り上げられた役作り
元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏はプロ5年目の1987年シーズン途中にリリーフに完全転向したが、そこから1996年の引退までにたった1度だけ先発したことがある。阪神が亀山努…
抑えたのに激怒され“内角攻め” 吠える助っ人…「指令」から始まった歴史的大乱闘
異様なムードでの試合だった。もはや野球ではなかったといってもいいのかもしれない。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は1990年5月24日の巨人戦(ナゴヤ球場)で巨人・ウォーレ…
ケンカ上等のハードな内角攻めに“待った” 「俺がやられる」…主砲から漏れた本音
“威嚇球”が通用しなかった。野球評論家の鹿島忠氏は、現役時代、厳しい内角攻めでも知られた中日の中継ぎ右腕だったが、どうにも相性が悪い選手もいた。阪神・岡田彰布内野手(現阪神…
球団フロントを一喝「給料を上げてやれ」 日陰の扱いが今や…闘将が変えた“救援”の評価
昔は中継ぎ投手の立場は決して良くなかった。中継ぎに回ると「降格」と言われるなど、先発、抑えよりも明らかに格下という感じだった。野球評論家の鹿島忠氏は元中日の中継ぎエース。だ…
怒りが生んだ“ケンカ投法” まさかの打撃投手指令で覚醒「ボールが行きだした」
野球評論家の鹿島忠氏は現役時代、中日の中継ぎ陣のエース格だった。当初は先発ローテーション投手としての活躍が期待されていたが、星野仙一氏が監督に就任したプロ5年目の1987年…
「後から活躍しやがって」 元指揮官もボヤいた恩返し…“冷遇”跳ねのけた完封劇
あの送球がなかったら……。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は、プロ4年目の1986年8月28日の大洋戦(横浜)でプロ初完投、初完封勝利をマークした。被安打6、奪三振8の見事…
即戦力ドラ1のはずが…打撃投手で過ごす日々 登板ゼロの1年目「嫌われていたのかな」
屈辱のルーキーイヤーだった。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏はドラフト1位で中日入りした。社会人野球・鹿児島鉄道管理局から加入。即戦力右腕のはずが、1年目の1983年は1軍…
まさかのドラ1指名で「20番をください」 知らなかった“エース番号”…困惑のフロント
都市対抗も日本選手権にも出場できなかった。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は鹿児島実から社会人野球・鹿児島鉄道管理局に進んだが、全国大会の舞台は無縁だった。プロに注目はされ…
堅実就職のはずが「手取り3万もなかった」 おにぎり代もツケ…元中日右腕の“金欠”時代
高校卒業時の進路は監督指令と安定した未来を考えて選択した。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は、鹿児島実から社会人野球の日本国有鉄道鹿児島鉄道管理局に進んだ。高校時代にプロか…
忘れられない津田恒実の剛球「レベルが違う」 PL封じにつながった高2の“衝撃”
元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は鹿児島実時代、2年夏(1978年)と3年夏(1979年)に甲子園に出場した。いずれも初戦敗退に終わったが、本格派右腕としてプロに注目された…
ケンカ上等の内角攻め…「怖がらせる方が得だもん」 強面右腕に敵軍「あいつはやばい」
「第1期・星野中日」で中継ぎのエース格で活躍した。他球団から恐れられるほどの厳しい内角攻めで知られた。元中日投手で野球評論家の鹿島忠氏は、穏やかな笑顔で当時を振り返った。だ…
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