左肩を負傷も手術回避で「痛いところをガンガン」 希望もつかの間…訪れた絶望|球界群像 都裕次郎#13
“茨の道”に突入した。元中日投手の都裕次郎氏は1985年のプロ9年目から左肩痛に苦しんだ。最初は違和感だったが、時の経過とともに悩ましい状態に陥っていった。米ロサンゼルスで…
左肩を負傷も手術回避で「痛いところをガンガン」 希望もつかの間…訪れた絶望|球界群像 都裕次郎#13
“茨の道”に突入した。元中日投手の都裕次郎氏は1985年のプロ9年目から左肩痛に苦しんだ。最初は違和感だったが、時の経過とともに悩ましい状態に陥っていった。米ロサンゼルスで…
打ちまくった主砲に謝罪「自分が壊した」 大量リードが一転…忘れられない“悪夢”|球界群像 都裕次郎#12
元中日左腕の都裕次郎氏はプロ8年目の1984年、開幕から無傷の8連勝をマークするなど13勝8敗1セーブと活躍した。「テークバックをコンパクトにしたのがよかったと思います」と…
「癖がバレるかも」疑心暗鬼が生んだ“特殊技能” 無双に繋がった前代未聞の武器|球界群像 都裕次郎#11
元中日左腕の都裕次郎氏は、プロ6年目の1982年に16勝をマークして大ブレークした。中日優勝にも貢献して、まさに急成長を遂げたが、その原動力のひとつとして「スライダーの切れ…
打者1人で降板は「自分が情けなかった」 元中日左腕の不運、40年抱える“後悔”|球界群像 都裕次郎#10
反省の頂上決戦だった。1982年、近藤貞雄監督率いる中日はセ・リーグを制覇した。その立役者の1人が16勝をマークした左腕・都裕次郎投手だったが、パ・リーグの覇者・西武との日…
勝利確信も…神様に見放された“行動”「あれはいかんかった」 ベンチで味わった悪夢|球界群像 都裕次郎#9
ついに覚醒した。元中日投手の都裕次郎氏が大活躍したのが、プロ6年目の1982年シーズンだ。43登板で16勝5敗。先発はもちろん、ロングリリーフもこなしてドラゴンズのセ・リー…
目が覚めたら「ウワーって思いました」 曲がらぬ左腕…ドラ1を襲った“謎の痛み”|球界群像 都裕次郎#8
滋賀・堅田高からドラフト1位で中日に入団した左腕・都裕次郎投手は3年目の1979年シーズン後半に1軍デビュー。プロ初勝利を含む2勝2敗3セーブをマークした。ついにきっかけを…
プロ初勝利も謝罪「すみません」 “奪った相手”と同部屋…気まずかった宿舎の夜|球界群像 都裕次郎#7
中日一筋で活躍した元左腕投手の都裕次郎氏は、プロ3年目の1979年8月2日の大洋戦(ナゴヤ球場)で1軍デビューを果たした。2軍で好成績をマークして、ジュニアオールスターゲー…
ドラ1入団から1年…異例の“打撃投手” 日々薄まる周囲の期待「普通って感じ」|球界群像 都裕次郎#6
1976年の中日ドラフト1位左腕・都裕次郎氏はプロ1年目も2年目も1軍登板なしに終わった。2年目の仕事は“打撃投手”。「ほぼ1年間、1軍に帯同して試合に投げず、練習で投げて…
監督に酷評されたドラ1「がっかりした」 先輩の野次にパニック…カーブの握りで牽制球|球界群像 都裕次郎#5
指揮官の言葉は辛辣だった。1976年ドラフト会議で“全体2番目”で中日に1位指名されて入団した都裕次郎氏は、1年目のキャンプで1軍投手のレベルの高さを思い知らされた。「ボー…
乗り気だった巨人の誘いも…部室で聞いた予期せぬ中日“1位指名”「ああそうですか」|球界群像 都裕次郎#4
滋賀・堅田高校の左腕・都裕次郎投手は、1976年11月19日のドラフト会議で中日から1位指名された。「全く予想していなかったので、びっくりしました」。事前に1位指名を確約し…
16点圧勝→1か月後に食らった“惨敗” あっけなかった最後の夏…無名で終わった好投手|球界群像 都裕次郎#3
頭角を現したのは高校2年の夏だった。元中日投手の都裕次郎氏は滋賀・堅田高2年の1975年、夏の滋賀大会1回戦の八幡商戦で7連続奪三振をマークした。当時の滋賀大会の記録で、こ…
部員9人で「4番・捕手」がまさかの転校 涙の別れ…元ドラ1が味わった“出場危機”|球界群像 都裕次郎#2
元中日左腕の都裕次郎氏は1974年、滋賀県立堅田高校に進学した。2年後のドラフト会議で中日に1位指名を受けることになるが、入学当初はそんな未来を想像できる状況ではなかった。…
“勝手”に変えられた名前「父が独断で急きょ」 人気俳優の影響で…変化した野球人生|球界群像 都裕次郎#1
背番号「28」の中日左腕。1982年に16勝をマークしてセ・リーグ優勝に大貢献したのが都裕次郎氏だ。滋賀・堅田高校から1976年ドラフト1位で入団し、プロ6年目にエース格と…
拙かった鳥谷敬「下手くそって力むんですよ」 苦労を覚悟も…名伯楽が見た不断の努力|球界群像 久慈照嘉#16
阪神、中日で守備の名手として活躍した久慈照嘉氏は2009年から2013年まで、2016年から2022年までの計12年間、阪神の1軍内野守備走塁コーチを務めた。真弓明信監督、…
急な“引退勧告”に「何で言ってくれないの」 清原加入で移籍消滅…無念だった名手の最後|球界群像 久慈照嘉#15
辞める気はなかった。安定感抜群の守備力を誇った久慈照嘉氏は2005年シーズン限りで阪神を退団した。球団から打診されたコーチ就任を断って、現役続行を目指した。だが、新天地は見…
兼任コーチ要請を拒否して自由契約 妻は出産したばかり…年俸ダウンで選んだ阪神復帰|球界群像 久慈照嘉#14
守備のスペシャリストとして名を馳せた久慈照嘉氏は2002年オフに中日を退団して、古巣の阪神に戻った。中日から守備コーチ兼任を打診されたが、あえて自由契約を希望しての復帰だっ…
中日コーチの打診も…拒否して選んだ自由契約 給料減でも貫いた阪神への“愛”|球界群像 久慈照嘉#13
元中日内野手の久慈照嘉氏は2000年を越えてから苦しい時期が続いた。プロ11年目の2001年は34試合の出場で11打数1安打。若手の井端弘和内野手の台頭もあれば、右脇腹や左…
指揮官が“激怒”「わかっとるわ」 出場激減で失った定位置も…バタバタ交代指令|球界群像 久慈照嘉#12
新たな“仕事場”で奮い立った。1999年、星野仙一監督率いる中日は11年ぶりにセ・リーグを制覇した。開幕から11連勝してスタートダッシュに成功。その後、首位の座を譲るなど苦…
“韓国のイチロー”は「誰が見ても下手くそ」 「裏切り者」と罵声…トレード放出の悲劇|球界群像 久慈照嘉#11
闘将からの第一声は「虎に未練があるのか!」だった。1997年オフ、久慈照嘉内野手は関川浩一捕手(1999年からは外野手登録)とともに阪神から中日に移籍した。大豊泰昭内野手と…
嫌だった中日行き「あそこだけは」 知らぬ番号から着信…嫁の横で察したトレード|球界群像 久慈照嘉#10
まさかの出来事だった。現役時代に守備の名手として知られた久慈照嘉氏は、1997年オフに阪神から中日にトレード移籍となった。1992年のプロ1年目から阪神に在籍した6シーズン…
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