後輩は“OK”なのに…「お前はまだ早い」 なぜか許可されず、叱り続けた闘将の思惑|球界群像 山本昌#11
「あのピッチャーが50歳まで現役を続けるなんて」「200勝するなんて」……。失礼ながら、山本昌氏の4年目までの“初期時代”を知る関係者からはこんな声がよく聞かれる。言い換え…
後輩は“OK”なのに…「お前はまだ早い」 なぜか許可されず、叱り続けた闘将の思惑|球界群像 山本昌#11
「あのピッチャーが50歳まで現役を続けるなんて」「200勝するなんて」……。失礼ながら、山本昌氏の4年目までの“初期時代”を知る関係者からはこんな声がよく聞かれる。言い換え…
自腹指令でヤケクソの贅沢渡米「頭にきた」 朝までデニーズで激論…大恩人への感謝|球界群像 山本昌#10
50歳まで現役を続け、NPB通算219勝をあげたレジェンド左腕・山本昌氏の恩人・アイク生原さんは1992年10月26日に胃がんのため亡くなった。まだ55歳の若さだった。ドジ…
負けたら米国へ“強制送還” 「確信に変わった」はずが…極限状況で大珍事「嘘だろ」|球界群像 山本昌#9
西武・松坂大輔投手はオリックス・イチロー外野手との初対決(1999年5月16日、西武ドーム)で3三振を奪い、試合後のヒーローインタビューで「自信から確信に変わった」と発言し…
突然の命令に「クビになるかも…」 帰国拒否も「お前、帰って来い」揺れたNPB復帰|球界群像 山本昌#8
1988年8月、星野仙一監督率いる中日はセ・リーグ首位を快走していた。そんななか、ドジャースに留学していた山本昌氏は日本に呼び戻された。リーグ制覇に向けて、さらに戦力を底上…
恩人は消息不明「探してもらったけど…」 米で習得…内野手が教えてくれた最強の武器|球界群像 山本昌#7
スクリューボールは元中日投手・山本昌氏の大きな武器だった。プロ5年目の1988年、ドジャース留学中に習得した。その後の野球人生を考えれば、この球種があるか、ないかで大違い。…
米修行でも酷評「横手投げか運転手に」 屈辱の球拾いも…数か月後の”大変身”|球界群像 山本昌#6
流れが大きく変わったプロ5年目。50歳までプレー、通算219勝を挙げたレジェンド左腕・山本昌氏が飛躍へのきっかけをつかんだのが1988年のドジャース留学だった。行く時はショ…
OP戦開幕投手もKO「死ぬまで走っとけ」 暗闇の“罰走”&闘将からの予期せぬ通告|球界群像 山本昌#5
星野仙一氏が中日監督に就任したことが、レジェンド左腕・山本昌氏の野球人生には大きなプラスとなった。だが、最初からうまくいったわけではない。就任1年目の1987年シーズンはわ…
全力投球に屈辱のひと言「いつ本気で投げる?」 くすぶる若き日…219勝左腕の”転機”|球界群像 山本昌#4
プロ1年目から4年目までは1軍で0勝。毎年、クビを心配していた左腕が50歳までプレーし、通算219勝をマークした。元中日投手の山本昌氏の野球人生は、まだまだくすぶっている若…
高卒1年目で戦力外危機…首脳陣の命令拒絶で「あいつクビに」 苦境救った“出会い”|球界群像 山本昌#3
レジェンド左腕のプロ1年目は試練の始まりでもあった。50歳まで現役を続け通算219勝をマークした元中日の山本昌氏は「プロに行くと決めたら頑張ろうとなれる性格だったんで、すご…
無名の“繰り上がりエース”がプロ入りできたワケ 「ラッキーだった」甲子園の星不在|球界群像 山本昌#2
50歳まで現役を続けたレジェンド左腕の山本昌氏は、1983年ドラフト会議で中日から5位指名を受けた。日大藤沢時代は2年夏も3年夏も神奈川大会でベスト8止まり。「部長先生に聞…
教頭から呼び出し「不祥事やらかしたかな」 予期せぬ指名だった“他人事”のドラフト|球界群像 山本昌#1
NPB史上初めて50歳で公式戦出場を果たしたレジェンドと言えば元中日投手の山本昌氏だ。数々の最年長記録を更新し、プロ野球の歴史に名を残した。そんな左腕の土台にあったのが、長…
見据えた未来「1位は前田しかおらん」 29年前から不変、松田オーナーの情熱と広島への愛
タイムスリップしたような感覚に陥った。1994年とか、1995年とか、1996年とかに戻ったような……。広島・松田元オーナーを取材したのは、マツダスタジアム内のオーナー室。…
「野球って限界産業」売上捨てて“自由席”復活 広島オーナーの狙い「今、一番心配」
地域に密着したファンサービス。広島の基本は絶えずそこにある。松田元(まつだ・はじめ)オーナーへのFull-Count単独インタビュー最終回は、これから先の時代を見据えての話…
ドームは「絶対嫌じゃ」 ボロカス言われても猛反対…天然芝にこだわった広島オーナー
広島・松田元(まつだ・はじめ)オーナーへのFull-Count単独インタビュー第2回はマツダスタジアムについて。今や日本を代表するスタジアムとして知られるが、完成するまでに…
新井カープ1年目は「ひょっとしたら、ひょっとする」 オーナーも唸る新監督の資質
広島の松田元(まつだ・はじめ)オーナーがFull-Countの単独インタビューに応じ、赤ヘルの現在、過去、未来などを熱く語った。全3回にわたってお届けする。第1回は新井貴浩…
投手・根尾の起用法は「考えられなかった」 “元エース”が危惧した昨季「ただの見せ物」|球界群像 小松辰雄#15
狭いナゴヤ球場から広いナゴヤドームへ。1997年の本拠地移転によって中日の野球は変わった。強竜打線と恐れられ、1996年のチーム本塁打は179本でリーグ1位だったのが、リー…
社長の「いらん」に「じゃあ、やめますわ!」 二転三転の監督人事…割食ったエース|球界群像 小松辰雄#14
かつて中日のエースとして君臨した野球評論家の小松辰雄氏の公式戦ラスト登板は1994年8月27日のヤクルト戦(神宮)だった。先発して1回2/3、4失点でKOされて終わった。功…
落合博満が憤慨「じゃあやめる」 100km先の温泉地で引き留め…急展開した“確執騒動”|球界群像 小松辰雄#13
ひとたび怒りのスイッチが入った星野仙一監督は周囲の予想をはるかに越えた行動を起こしたこともよくあった。元中日エースで「スピードガンの申し子」と言われた野球評論家の小松辰雄氏…
恐怖でサイン出せぬ捕手「指が動きません」 打たれたら鉄拳制裁「一番殴られていた」|球界群像 小松辰雄#12
選手と選手、監督と選手、監督とコーチ。野球評論家であり、「焼処 旨い物 海鮮山」(名古屋市中区錦3丁目)のオーナーでもある小松辰雄氏は現役時代、星野仙一氏と3つの関係を経験…
コーチの“軽はずみ発言”に「頭にきた」 プライド汚された中日エースの怒りの矛先|球界群像 小松辰雄#11
最多勝、最優秀防御率、最多奪三振、沢村賞。1985年の中日・小松辰雄投手はセ・リーグの投手タイトルを総なめにした。際立ったのは終盤の白星量産だ。8月27日の巨人戦(ナゴヤ球…
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