楽天を牽引する43歳 斎藤隆が胸に秘める被災地への思いとは

楽天に入団するという運命的な出来事

 遠いアメリカから出来たのは、野球を通じて勇気を届けることだった。

 その年、ブルワーズは29年ぶりの地区優勝を果たした。前半戦は故障続きだった斎藤だが、復帰後は鬼神のような投球を見せてチームに貢献。ポストシーズンではリーグ優勝決定シリーズでカージナルスに敗れたものの、ダイヤモンドバックスとの地区シリーズ第2戦で勝利投手になるなど、6試合連続無失点と快投を続けた。

 そして敗退が決まった直後、斎藤はクラブハウスで大粒の涙を流している。それは、被災地への思いから来るものだった。

「精いっぱい自分では頑張れたので、やりきった感もあるんですけど、色んなことが今年はありすぎて…。ケガもありましたけど、やはりキャンプの時に起きた地震によって、当たり前にあるものが無くなってしまったりとか…。だから、僕がしている苦労とか、僕が感じているものなんか何でもないですけど、なかなか言葉にならない思いがいつもある。なおかつ、またここで自分が結果を出しても勝てない悔しさも。本当は何とかチャンピオンになって、みんなの元に、仙台に帰りたかったんですけどね。震災で無力感というか、すぐには何も出来なくて、(その後に)やっぱり野球人である以上、メジャーリーガーである以上、頂点を取って帰りたいという思いをずっと秘めていたので…」

 そして、当時41歳という年齢で引き際について考えることが多くなっていた右腕は、こう言って前を向いた。

「自分が出来ることを精いっぱいやり続けたい。ここまで『ここで終わるんじゃないか。ここで終わるんじゃないか』と常にギリギリにゴールラインを引いてたんですけど、震災があって色々と考えさせられて、ちょっと違う気がしてきました。野球(をやる)ということは命がどうのってことじゃない。もっともっとそのゴールを遠くに設定することも可能だって思えるようになりましたし、そうじゃなきゃいけないんじゃないかなっていう風に考えたんです。だから、これまでは『いつ終わっても』って思ってたんですけど、今はそれ自体がナンセンスかな。今やれていることをどう楽しむかに思いを注ぎたい。そういう努力を重ねていきたいと思えるようになった。あまりにも悲しい、悲惨な出来事だったんですけど、そういうことを感じました」

 その言葉から分かるのは、震災がなければ、斎藤はすでにユニホームを脱いでいた可能性もあったということだ。だからこそ、あの悲劇でマウンドに上がることの意味を再確認した男が今年、地元であり、被災地である仙台に本拠を置く楽天に入団したのは、やはり運命的な出来事だったのだと言える。

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