42年間ユニホームを着続けた男の引退の瞬間 「マシンガン打線」の生みの親が味わった最後の5分の悲哀
積み重ねた42年間という歳月の重み
髙木が退団するにあたり、42年間という歳月の重みを本人と球団とが共有できなかったことは仕方のないことなのかもしれない。髙木が入団した当時の大洋ホエールズはその後、横浜大洋ホエールズ、横浜ベイスターズ、横浜DeNAベイスターズと変遷し、そのたびに、フロントも変わってきた。DeNAの名を冠した球団自体はまだ2年の歴史しかない。髙木との契約も厳密に言えば、2年間ということなのだろう。
ただ、これだけは言える。髙木は間違いなく、今の球団を形作ってきた功労者の一人であり、歴史ある球団を長年、内側から見続けてきた数少ない証人の一人でもある。球界全体を見渡しても、42年間同じ球団に籍を置き、ユニホームを着続けた存在は極めて稀と言えるだろう。そんな髙木は02年以降、1度しかAクラス入りを果たしていない球団の行く末を憂いつつ、同時に、心から応援している。
「DeNAはうまくやると思いますよ。高田GMも中畑さんもいるから。ただ、長い目でみたら、生え抜きの人材を育ててほしいという思いはありますね。人材は育てればいくらでもいる。だから、選手同様に、指導者や球団の幹部も育てていってほしい。これからは、三浦大輔や金城という生え抜きの選手をいかに幹部に教育していくかもフロントとしての大きな仕事だと思いますよ。そしてもう一つ。大前提にファンの存在があるのを忘れないでほしい。球団の親会社が変わっても、ファンは同じ球団だと思って、ずっと応援してくれていますから。ファンの人の思いも加味して、経営をしていってほしいと思いますね」
そう熱く語る髙木自身は、今後の人生をどう送っていくのだろうか。
「私は子供たちに野球塾みたいなのをやって、真っ白なところに色をつけてみたいという思いがあります。もちろん、プロに入ってくる選手がうまくなっていく過程にも喜びはあるんですけど、今まで、子供たちの指導に携わったことがないじゃないですか。小学校3、4年生くらいから、バッティングとはこうあるべきだよ、これが基本だよ、こうやってタイミングをとるんだよ、というのを指導して、その変化を楽しむというか、そういうのを味わってみたいですね」
そう夢を語る髙木の表情は還暦を過ぎているとは思えないほど精悍で、意欲に満ち溢れている。だが一方で、髙木とともに現役を戦ってきた仲間の中には、まだプロの世界で生き続けている者もいる。高木自身、その姿に刺激を受け、再び、ユニホームをまとう日も来るかもしれない。42年目にして一度はユニホームを脱ぐことにはなったが、その野球への情熱が消えたわけではないのだから。
【了】
フルカウント編集部●文 text by Full-Count