“青い稲妻”松本匡史氏が語る、「代走屋」として積み重ねた200盗塁の価値

レギュラーで出ているほうが盗塁はしやすい

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鈴木尚広の年度別成績

「とにかく彼は走る技術が高い。あとは自信でしょうね。走ることに関して、すごく自信を持っている。彼は本当にピッチャーをよく見ているんですよ。ベンチの中でも、常によく見ている。投手のモーションなどは、ビデオと、実際に見るのとではまた違いますからね。彼は常にベンチでモーションを研究し、自分のタイミングを計っていました。そして、塁に出たらそれを一瞬の内に判断して走る。その点では、ほかの選手とは全然違いますよね」

 さらに鈴木が走るシチュエーションは通常の盗塁よりも困難なケースが多い。というのも、試合の終盤のここぞというシーンで代走として送り出されるからだ。松本氏は、代走で盗塁を決めるのと、試合に出続けて盗塁を重ねるのとでは難しさの度合いもまったく違うと指摘する。

「やっぱりレギュラーで出ているほうが盗塁はしやすい。常に試合に出ているほうが感覚的にはいいですからね。代走でポンと試合に出て、パッと走るほうが難しいですよ。しかも代走はプレッシャーがかかる場面で走ることが求められる。当然、相手も代走として出てきたら『この選手は走るぞ』と警戒します。そういう中で、相手の注意をかいくぐるってことはやっぱりすごい。盗塁の数よりも、そういうことに関してやってきた選手ということで、鈴木はさらに評価できると思います。盗塁の失敗自体も少ないですからね」

 だからこそ、この鈴木の200盗塁の価値も極めて高い。

 代走の難しさは松本氏自身、身を持って体感している。現役時代に代走で出場して盗塁を重ねた時期があったからだ。巨人でまだ完全にレギュラーの座をつかみ切れていなかった1981年に代走屋として起用されていたのである。

 当時は強力なライバルがいた。ヤクルトの青木実氏だ。相手も同じく代走屋として登場する場面が多く、両者は最後まで盗塁王を争った。結果、松本氏が33個、青木氏が34個。その差わずか1個だった。

 その敗北は松本氏にとって大きなショックだったという。同じ代走屋として勝負し、競り負けてしまったからだ。翌82年にレギュラーに定着した松本氏は61個を成功させて初の盗塁王へと輝いているが、その嬉しさよりも前年にタイトルを逃した悔しさのほうが勝っていたと苦笑交じりで振り返る。

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