“青い稲妻”松本匡史氏が語る、「代走屋」として積み重ねた200盗塁の価値
松本氏の記憶に刻まれている“代走屋”
ほかにも松本氏の記憶に刻まれている代走屋は多い。
たとえば、代走のスペシャリストとして1969年にロッテオリオンズに入団した飯島秀雄氏。同氏は陸上100メートルの元日本記録保持者であり、同種目のオリンピック選手ということで大きな話題を呼んだ。だが、3年間で計23盗塁という成績で引退。野球経験がなかったため、スタートを切る技術が不足していたことも活躍できなかった原因の一つだった。
また、松本氏の中で最も印象に残っているのが、元広島の今井譲二氏だ。同氏も走塁のスペシャリストとして活躍した選手で、プロ11年で263試合に出場し、通算62盗塁をマーク。そのほとんどが代走としての起用だった。
「彼は試合前の練習でも、ほぼ走塁練習しかしないんですよ。時間がある限り、最後まで走塁の練習をしていたのをよく覚えています。代走屋でも、あそこまで練習する選手というのは僕が知っている限りではいませんでしたね。彼はバッティングも守備も多少はやるけれど、それ以外の時間は終わるまでずっと走塁練習ばかりやっていましたから。それで試合に出てくると必ず走るんです」
今井氏が所属した広島自体、走ることに関して非常に意識が高い球団だと松本氏は説明する。
「あそこのファームは、走れない選手はだれであっても試合に使ってもらえないんですよ。だからみんなファームの時代は足が遅くたってなんだってトライする。そういうチームだった。だから江藤も盗塁がうまいんですよね。そういう環境だから、走れる選手が出てくる」