市和歌山が2004年以来となる夏の甲子園出場 ヤクルト川端慎吾らが挑んだ10年前の戦いと後輩たちがこじ開けた扉
強豪・智弁和歌山に延長12回にサヨナラ勝ち
10年ぶりの歓喜が和歌山の空に響き渡った。市和歌山が、県内の強豪・智弁和歌山を延長12回サヨナラ勝ちで下した。12回の1アウト1、2塁のチャンスで3番・瀬戸口麗内野手(3年)が左中間にサヨナラ二塁打を放ち、試合を決めた。市和歌山商から校名が変更になってからは初出場。2004年夏以来、聖地へ戦いに行く。
その知らせを神宮球場でのゲーム前に聞いたのは、同校OBのヤクルト・川端慎吾内野手だ。川端は2004年夏、2005年春の甲子園に出場している。当時から、足の速さと打撃、ショートの守備のうまさには定評があった。「憧れている選手は、川崎選手です」と当時ホークスの川崎宗則内野手(ブルージェイズ)が目標だった。
川端は大阪府出身。貝塚リトルでは投手だった。貝塚三中時代のボーイズリーグから、和歌山の学校を選んだ。早朝に登校し、野球部の練習を終えて10時過ぎに帰宅する日々だった。
甲子園の夢がかなったのは、2年生だった2004年の夏。川端はショートで出場。1回戦では11-6で宇都宮南を破ったが、2回戦で福島の聖光学院に4-8で敗れた。2試合で8打数3安打だったが、パワー不足を実感。その後、冬を越え、体重が約10キロ増えて体が大きくなった。元々通算20本以上、本塁打をマークしていたが、パワーがつき、一躍ドラフト候補に躍り出た。