「日本球界にとって“レジェンド”」 松井稼頭央が打撃で驚異の復活劇を見せる理由とは?
イチローも達成できなかったトリプルスリー
プロ野球には様々な記録が存在するが、中でも非常に難しいとされているものに、野手の“トリプルスリー”がある。打率3割、30本塁打、30盗塁以上と、打撃だけでなく走力まで求められるこの記録は、日本プロ野球では2002年に松井稼頭央がマークしたのを最後に、もう10年以上達成者が現れていない。そう、あのイチローですら達成することができなかった記録だ。
PL学園時代は投手として活躍した松井は、1993年のドラフト会議で西武ライオンズから野手として3位指名を受ける。西武入団後はショートのポジションを争い、当時の谷沢健一打撃コーチの助言を受けて右打ちからスイッチヒッターに転向した。
その後、急速に力を付けていき、プロ入り3年目の1997年に初の打率3割をマーク。1999年からは本塁打が増加し、2000年、2001年は2年連続で3割20本を記録した。
そして2002年、打率.332、36本塁打、33盗塁(打点は87、得点はリーグトップの119)という、文句の付けようのない記録を打ち出した松井稼頭央。史上8人目、スイッチヒッターとして初めてとなる“トリプルスリー”を達成した。
2003年にも3割30本を記録し、7年連続170安打を達成。さらに、2年連続でゴールデングラブ賞を獲得した松井は、文字通り“日本人最強野手”として、メジャーリーグの門を叩いた。
松井のメジャー挑戦への評価は、意見の分かれるところだろう。日本時代の打撃成績を考えれば、7年のプレーで通算打率.267、32本塁打という数字が物足りなく感じられるのは確かだ。しかし、負傷に悩まされながら7年間プレーする機会を得続けたこと、そしてセカンドへのコンバートをものにし、守備指標では上位にランクされるまで技術を向上させたことは、松井の順応性を示唆しているとも言える。