【小島啓民の目】押し出し四球の阪神・高宮とラグビー日本代表に見る「攻めたこと」の大切さ

安全策でいくのか、攻めるのかという2択

 配球的には、インコースか、アウトコースのスライダーかという2択であった場面でした。バッテリーからすると四球を出せないということもあり、ストライクゾーンで勝負しなければならず、スライダーが甘く入ることを嫌って、インコースのシュート系のボールを選択したのではと考えています。

 おそらく、もしボール1個ストライクゾーンにあのボールが来ていたら、打者は、見逃し三振というケースでした。高橋由伸の頭の中には、ベテランだからこそ、あの場面でのインコースは全く想定していなかったと思います。

 満塁の場面でインコースの厳しいところに投げるというのは、死球の怖れもあり、投手としてはかなり勇気が必要となります。したがって、普通は安全でかつ投手が思い切り投げやすい、アウトコースに投げることがほとんどです。

 高橋由伸選手もベテランであるからこそ、おそらく気持ちはアウトコースを警戒していたはずです。そういった意味では、裏をかいた配球であった言えるでしょう。安全策でいくのか、攻めるのかという2択で、攻める方を選択し、その球が外れたという結果でしたが、判断としては決して悪くなかったのではと思います。

 サヨナラ押し出しという結果で試合には負けましたが、チームにとっても、バッテリーにとっても次に繋がる投球で、引きずらない試合となったと思っています。その結果か、2戦目は阪神がジャイアンツのエース菅野を打ち崩して、勝利をしました。

 春の選抜の予選が各地方で行われています。負けたら終わりという厳しい戦いですが、勝利をもぎ取るという気持ちで常に積極的な姿勢で臨む方が好結果につながりやすいですし、たとえ敗戦しても、次にも繋がることも多いと思います。指導者の立場からですが、高校球児のみなさんも是非、リスクを怖れず、積極的な姿勢で臨んでもらえればと思います。

【了】

小島啓民●文 text by Hirotami Kojima

小島啓民 プロフィール

kojima
1964年3月3日生まれ。長崎県出身。長崎県立諫早高で三塁手として甲子園に出場。早大に進学し、社会人野球の名門・三菱重工長崎でプレー。1991年、都市対抗野球では4番打者として準優勝に貢献し、久慈賞受賞、社会人野球ベストナインに。1992年バルセロナ五輪に出場し、銅メダルを獲得。1995年~2000年まで三菱重工長崎で監督。1999年の都市対抗野球では準優勝。日本代表チームのコーチも歴任。2000年から1年間、JOC在外研修員としてサンディエゴパドレス1Aコーチとして、コーチングを学ぶ。2010年広州アジア大会では監督で銅メダル、2013年東アジア大会では金メダル。侍ジャパンの台湾遠征時もバルセロナ五輪でチームメートだった小久保監督をヘッドコーチとして支えた。2014年韓国で開催されたアジア大会でも2大会連続で銅メダル。プロ・アマ混成の第1回21Uワールドカップでも侍ジャパンのヘッドコーチで準優勝。公式ブログ「BASEBALL PLUS(http://baseballplus.blogspot.jp/)」も野球関係者の間では人気となっている。

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