パ新人王の有原航平 活躍の原点となった大学時代の意外な出来事とは?
力投派から技巧派への転機
当時は150キロ超の直球で押す「力投派」だったが、力を生かそうと力みすぎる余りに制球が乱れ、痛打されることが目立った。2年生までは同級生の高梨雄平、1学年下の吉永健太朗の陰で一歩、後れを取っていた。
転機となったのは、3年夏だった。オープン戦で自己最速の156キロをマークし、絶好調だった最中、打席に立った際に左足に死球を受けて小指を骨折。リーグ開幕間近だったこともあり、全力で投げられない状態となったが、このときに思わぬ発見があったという。
「今までは10割の力で投げていたけど、怪我をして7、8割の力で投げてみてもキレのいいボールがいくんだと思ったんです」
この「脱力投法」が、力投派から技巧派への転機となり、今も続く投球スタイルが形作られることになった。
直球だけに頼りすぎず、スライダー、カーブ、チェンジアップ、カットボール、ツーシームと多彩な変化球を駆使。秋には大学時代のベストピッチといわれる慶大戦の1安打(バントヒット)完封勝ちを挙げるなど、最優秀防御率を獲得し、早大のエースに君臨。一躍、ドラフトの目玉候補となり、翌年、4球団競合の末、北の大地へと渡った。