4か国9球団を渡り歩いた男 元甲子園V左腕が今も駆られる思いとは

大切なのは「自分がどうしたいか」、影響受けた2人の偉大な先輩とは

「正直、一番最初に日本を出た時から、そこはあまりこだわらなくなったかもしれないです。必要かなと感じた時に受けたら、たまたま3回だった。その中で(2012年に)ヤクルトに入ることができましたけど、そこだけを目指していたかというと、そうでもない。それよりも1日でも長く野球を続けたいっていう思いの方が強いかもしれないですね。そこ(NPB復帰)にこだわっていたら、もっと早く辞めていたかもしれません」

 もちろん、「まだ野球を続けるのか?」という声が耳に届くこともある。だが、それは「いろいろな人の評価」の1つで、大切なのは「自分がどうしたいか」だ。周囲の声に対して「鈍感なのかもしれないですね」と笑うが、それも野球選手にとっては大切な資質の1つ。加えて、プロ入りから17年を過ごす間に、過去にこだわらず前に進む力を身につけたようだ。

「甲子園で優勝したとか、ドラフトがどうだとか、そういうところにこだわりはなくて、何かを成し遂げたって感覚もないんですよね。でも、ポイントポイントで鼻を折られてますよ(笑)。いわゆる人が言う挫折も味わっている。僕はそこまで悲観的には捉えていないんですけど、それもまたよかったりするのかなって思いますね。

 いろいろな場所でプレーさせていただく中で、自分の立ち位置を客観的に見られるようになった。例えば、優勝するにしても、試合に勝つにしても、その事実はその瞬間に過去のものになって、また次が来ますから。そこに照準を合わせてやっているのがいいのかもしれないですし。自分でね『昔オレはこうだった』とか言うことに、あまりセンスは感じられない(笑)。もちろん、周りがそう(過去の評判で)見ることもある。でも、それは周りの評価ですから。それで気持ちよくなっていたら痛い目に遭う。そういうのも、痛い目に遭ったから分かるんでしょうけど」

「1日でも長く野球を続けたい」という正田の思いに、少なからず影響を与えているであろう人物が2人いる。前述の高津臣吾(ヤクルト投手コーチ)と山本昌(元中日)だ。

 台湾で出会った高津とは、新潟でもともにプレー。「高津さんのような超一流の選手が、台湾でも新潟でも、若い選手が多い中でプレーし続ける。その姿勢は勉強になりました」と振り返る。「技術的なことだけじゃなく、若手選手にどう接しているとか、自分に対してどう接してくれたとか、自然に影響を受けて、自分もまた自然にそうするようになりましたね」。

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