「嬉しかった」―ロッテ大嶺が見つけた、故郷・石垣島でキャンプを行う意義
石垣島でのキャンプは節目の10年目、右腕が抱く故郷への想い
青い海と穏やかな波がベランダ越しから見える。大嶺祐太投手は春季キャンプ前日の夕方、チーム宿舎の自室でゆっくりとした時間を過ごしていた。今年でプロ11年目。故郷・石垣島でのキャンプ開催は記念の10年目を迎える。いろいろな想い出を振り返った。楽しかったこと。辛かったこと。決して順風満帆ではない。むしろ紆余曲折な日々。それでも、いつもこの故郷の海が励ましてくれた。
「プロ入りしてから無性に故郷の海が恋しくなることがありました。たまに漠然と海が見たくなる。友達に会いたいとかそういう恋しさはなかったのですが、海を見たくなる。海を見ると安心するんです。シーズン中に、沖縄に海を見に行きたいなあと思うことがありました」
海と一緒に育ってきた。小学4年で本格的に野球を始めるまでは夏になると海に行っていた。祖父の船に乗って、漁についていくことも多かった。泳いで、潜って魚の通り道に網を仕掛ける。その時は、魚はいない。本当にこれで釣れるのだろうか? 子供の時、不思議で仕方がなかったが、祖父はいつも悠然と構えていた。日が暮れて網を引き揚げてみる。すると網一杯に魚が入っている。初めて目にした時の興奮と、祖父への尊敬の想いは今も忘れない。
「網を引き揚げるのが、孫の役割。グルクンとかいろいろな魚が網いっぱいに入っている。ビックリしましたね」
だから高校3年夏が終わって野球部の活動が終わると、友達と真っ先に釣りに出かけた。思い出深いのは夜釣りだ。それまでは部活動があるため、なかなかいくことができなかったが、誰もいない沖合で糸を垂らした。周りは真っ暗。月と星の光だけ。星は空いっぱいに輝いていた。プロに行くのかどうか。進路に悩んでいた時期でもあった。もしかしたら、現実逃避をしたかったのかもしれない。満天の空の下で、自分と向き合った貴重な時間となった。プロ野球で野球を続けたい。憧れのマウンドで投げて、同じ沖縄の子供たちに夢や希望を届けられるような選手になりたい。純粋な自分と向き合い、結論は出た。
「天気が良くて本当に星空が綺麗な夜でした。明かりのない中、懐中電灯だけを持って行った」