選手からは「ポリスマン」の異名 異色経歴の西武広報担当が秘める思い

引退を決意した妻の一言、2015年から西武で広報担当に

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アイスホッケー選手時代の松浦智哉氏【写真提供:アイスホッケーマガジン】

「チームは日本リーグの強豪でした。すごい先輩たちもいらしたので、試合に出られるように必死でしたね。日本リーグ優勝、全日本選手権優勝の2冠を目指して日々練習していました」

 そんな中、不景気の影響を受け1999年に古河電工アイスホッケー部、2001年に雪印アイスホッケー部が相次いで廃部。2002~2003年シーズンを最後に36年間続いた西武鉄道アイスホッケー部も廃部が決まり、同じ西武グループのコクドアイスホッケー部に統合されることになった。

 松浦さんは、チームの廃部を機に現役を退くことを決めた。

「日本リーグで3度、全日本選手権で1度優勝しました。年齢も31歳でしたし、2年前に膝の大きなケガもしていました。妻に相談したら『何回優勝したの? もうやれることはやったんじゃない?』と言われて、引退する決心がつきました」

 引退後は社業に専念。西武鉄道の営業推進部で、鉄道を利用して行くことができるハイキングコースの企画や、花の名所を紹介するなどの業務を経て、2005年から西武ライオンズに勤務。2015年からは広報部に所属している。実業団という企業スポーツの選手だった松浦さんは、ライオンズの選手の野球に取り組む姿勢を間近で見て「さすがプロだな」と感心したという。

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