咲ききれなかったスピードスター藤村大介、2011年盗塁王のキャリアを回顧
藤村の命運を分けた2012年日本シリーズ第4戦
2010年に43盗塁で盗塁王に輝いた広島の梵英心が、6月に自打球を左ひざに受けて戦線離脱したこともあり、この年は盗塁王の水準は大きく下がった。20盗塁台でのタイトル獲得は、2002年に阪神の赤星憲広が26盗塁で獲得して以来だった。
そんな状況も幸いし、藤村は1軍デビューの年に盗塁王を獲得した。規定打席には未達で打率も.222だったが、新しいスピードスターとして期待された。
翌2012年も藤村は正二塁手として起用されたが、二塁を守ったのは100試合にとどまり、寺内崇幸、古城茂幸らと併用された。打率は.252と上昇したが盗塁数は14に減少。盗塁死が7度あり、成功率は低かった。盗塁成功率8割超の鈴木尚広に代表されるように、足のスペシャリストには高い盗塁成功率が求められる。その点でも藤村は未熟だった。それ以上に難があったのは、二塁守備だ。俊足ながら守備範囲は広いとは言えず、送球が不安定だとされた。
この年、巨人はセ・リーグで優勝し、パ覇者の日本ハムと日本シリーズを戦った。第4戦はスコアレスのまま延長戦に突入。12回裏、日本ハムは小谷野栄一が安打で出塁したが、中島卓也のバントは投手西村健太朗に捕球され、小谷野は二塁で封殺された。走者が入れ替わり、一塁に中島。ここで大野奨太が再度投手前にバントを決めた。西村は二塁は間に合わないと一塁に送球するが、これをベースカバーに入った藤村大介が落球。一死一三塁のピンチに転じ、ここで飯山裕志にサヨナラ二塁打を浴び、巨人は敗れる。対戦成績は2勝2敗になった。
大舞台での失策は、藤村にとって致命傷となった。その後、巨人が連勝して日本一になったが、原辰徳監督は第5戦以降は藤村を起用せず。そして翌年以降も、藤村の1軍出場機会は激減した。
2016年に5試合出場したのを最後に1軍出場はなし。2軍では2013年に30盗塁を記録するなど韋駄天ぶりは健在だったが、1軍昇格のチャンスは巡ってこなかった。
○藤村の通算成績
1軍 294試合689打数156安打0本塁打27打点 49盗塁15盗塁死 打率.226
2軍 556試合1539打数419安打4本塁打116打点 82盗塁55盗塁死 打率.272