星野仙一を輩出した明治大学の系譜 今もプロ野球界に息づく名門の脈

北京五輪では日本代表監督を務めた星野氏【写真:Getty Images】
北京五輪では日本代表監督を務めた星野氏【写真:Getty Images】

これまで23人の明治大学関係者が野球殿堂入り

 1月4日に逝去した星野仙一氏は、明治大学のエースとして活躍した。明治大学は星野氏だけでなく、野球界の発展に貢献した数多くの野球人を輩出している。

 これまで23人もの明治大学関係者が野球殿堂入りを果たした。表彰年順、()は表彰区分。

1969年 田部武雄(特別)
1970年 天知俊一(競技者)
1970年 二出川延明(競技者)
1971年 小西得郎(特別)
1973年 内海弘蔵(特別)
1976年 藤本英雄(競技者)
1978年 松木謙治郎(競技者)
1978年 岡田源三郎(特別)
1980年 大下弘(競技者)
1981年 岩本義行(競技者)
1985年 杉下茂(競技者)
1988年 横沢三郎(特別)
1991年 島岡吉郎(競技者)
1991年 牧野茂(競技者)
1992年 吉田正男(特別)
2001年 武田孟(特別)
2002年 中澤不二雄(特別)
2004年 秋山登(特別)
2005年 志村正順(特別)
2008年 嶋清一(特別)
2016年 松本瀧藏(特別)
2017年 郷司裕(特別)
2017年 星野仙一(競技者)

 天知俊一は六大学の審判を経て中日の監督に就任。明治大学時代の教え子でもある杉下茂を擁して優勝を飾っている。明治大学は天知だけでなく、二出川延明、岡田源三郎、横沢三郎、郷司裕とプロ、アマの名審判も輩出してきた。岡田は1896年生まれ。プロ野球草創期にプレーしたが、NPB史上唯一の19世紀生まれの選手だ。

 巨人のエースだった藤本英雄、阪神の初代主将だった松木謙治郎、戦後に青バットで本塁打を量産した大下弘、神主打法の強打者・岩本義行、中日のエース・杉下茂、巨人V9の名参謀だった牧野茂、大洋のエース・秋山登、そして杉下の背番号「20」を継いで中日のエースとなった星野仙一と、戦後プロ野球に隆盛をもたらした野球人も数多い。

 さらに、初代セ・リーグ優勝チームの松竹ロビンスで監督を務め、「何と申しましょうか」の名調子で解説者としても人気だった小西得郎や、小西と組んだ野球中継でファンを沸かせたNHKの名アナウンサー志村正順も殿堂入り。星野仙一の大学時代の恩師、島岡吉郎も殿堂入りしている。

明治大学出身選手、投打の5傑は…

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