殿堂入りを果たした原辰徳氏 選手、監督として巨人を支えたリーダー

4球団が競合し巨人に1位で入団「若大将ブーム」に

 1980年ドラフトでは4球団が競合したが、巨人の藤田元司監督が当たりくじを引き当てて入団。開幕戦では中畑清が三塁を守り、原は二塁を守ったが、すぐに正三塁手となり、1981年は22本塁打67打点、打率.268で新人王を獲得した。巨人でも颯爽としたプレーから“若大将ブーム”が起こる。

 3年目の1983年には103打点で打点王、MVPにも輝く。以後も主軸打者として活躍し、毎年30本塁打90打点前後をマーク。勝負強く、最多勝利打点を2回獲得している。1989年、2期目の藤田監督は岡崎郁を三塁に起用し、原は外野手にコンバートされる。1992年には一塁手、93年には再び三塁手に戻る。選手生活晩年は代打も多かったが勝負強く、たびたび殊勲打を打った。

 1995年を最後に引退。通算成績は1675安打、382本塁打、1093打点、打率.279。長嶋茂雄、王貞治が引退後のチームリーダーとして奮闘した。数字はONに比べてやや物足りないと言われたが、安打数は巨人史上8位、本塁打、打点は4位。ベストナイン5回、ゴールデングラブ2回、オールスターには11回出場した。

 引退後は解説者を経て1999年巨人にコーチとして復帰。2001年には長嶋茂雄の後任として巨人監督に就任し、2002~3年、2006~15年の12年間で、監督としては通算947勝712敗56分、勝率.571の成績だった。リーグ優勝7回、日本一3回、Bクラスは1シーズンだけという優秀な成績を残し、監督勝利数は歴代14位だ。

 また2009年の第2回WBCでは侍ジャパン監督としてチームを率い、日本を連覇に導いた。確かなリーダーシップを発揮し、イチローやダルビッシュ有など強烈な個性の選手をまとめ上げた。現役時代の実績に加え、監督として好成績を残したことでも、殿堂入りを果たしたと言えるだろう。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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