「人生は挑戦の連続」―青木、メジャーで掴んだ自信とヤクルト復帰の理由

入団会見に臨んだ青木宣親【写真:荒川祐史】
入団会見に臨んだ青木宣親【写真:荒川祐史】

中日に逆転優勝を許した2011年「自分の日本時代はそこで止まっている」

 6日、沖縄県那覇市内のホテルで、7年ぶりのヤクルト復帰会見に臨んだ青木宣親外野手は、やや緊張した面持ちの中、「この度、6年間アメリカでプレーして来たんですけど、今年から2018年から古巣のヤクルトでプレーすることを決断しました」と切り出した。直後にマイクの不具合が判明し、あわや挨拶のやり直しとなった時には「え、挨拶やり直すの!?」とビックリした表情。隣に座る小川淳司監督と大笑いした辺りから、普段通りのやわらかな雰囲気をまとうようになった。

 もう少しメジャーでできるのではないか。そう思った人は少なくないだろう。青木自身も「メジャーを優先して移籍先を探していた」と明かす。史上稀に見るスローなFA市場の動きの影響は「1つのきっかけ」。何よりもヤクルト復帰を決断させたのは、「やり残したこと」をやり遂げたいという思いだった。

 ヤクルト最終年となった2011年。チームは4月からペナントレース首位を走ったが、10月に入って中日に追い抜かれ、リーグ2位に終わった。クライマックスシリーズでは、ファーストステージこそ巨人を下したが、ファイナルステージで中日に敗れ、日本シリーズ出場を逃した。この時、チームを率いたのが小川監督。144試合全てに出場した青木は、170安打、打率.292と奮闘したが、一歩及ばなかった。

「小川監督が2011年の時に優勝を逃している。自分の日本時代はそこで止まっている。自分がやり残したことは優勝すること」

 2011年オフにポスティングシステム(入札制度)を利用してメジャー移籍を果たした青木に対して、小川監督はもちろん球団社長も、毎年のように声を掛け続けてくれたという。それでも「自分の中で、人生はチャレンジの連続」と米国での奮闘を選択。昨季は1シーズンに3チームを渡り歩く激動の日々を送りながら、選手として、人間としての円熟味を増した。

メジャーで取り戻した「自信」

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