震災から7年 ボランティア活動に励んだ少年たちがプロ野球へ、胸に秘める想い

高校の恩師からかけられた言葉「野球で悩めるだけ幸せ」

 その後は母校・蛇田中でボランティア活動に精を出す日々を送った。

「校庭に車がいっぱい来るので、交通整理とか。トイレを流すための水をプールから運んだり、赤ちゃんのミルクを作ったりしていましたね。食事、並ぶじゃないですか。その配給の手伝いもしました」

 入学予定の石巻西高校の校舎は避難所になり、体育館は最大約700人の遺体安置所になった。4月の終わりに入学式が行われ、「自衛隊の音楽隊が来てくれた覚えがあります」。野球部ではエースとして2年夏の8強入りに貢献。東北学院大で力を伸ばした。

 高校時代、石垣賀津雄監督から「打てないとか、ストライクが入らないとか、野球で悩めるだけ幸せだぞ。野球ができない人のことを考えたら、幸せだ」という話をされてきたという。

「震災を経験して、これ以上の苦しみはないと思っています。野球で悩んでいるだけで幸せなんだなと震災を通して感じているというか。震災の時、生活するだけで不便だったので。電気も水道もなくて。それを考えたら、本当に幸せなんだなと思います」

■石巻から20年ぶりに誕生したプロ野球選手、「元気や勇気を与えたい」

 野球ができる幸せ――。挑む世界の厳しさは覚悟の上。15歳の経験や目にした光景は自らを奮い立たせるだろう。

「自分、ずっとチャレンジャー心を持ってやってきたんで。高校でも大学でもそうですし、プロでもその気持ちを変わらずに持っていきたいなと思います」

 1学年上が石巻工でセンバツに出場した世代。石巻商は同学年が東北大会に出ており、高校時代は同地区のライバル校を意識して練習に励んできた。大学では、東北福祉大や仙台大を倒すためにマウンドに登ってきた。そんな「チャレンジャー心」が鈴木を最速150キロ右腕に成長させ、夢の扉が開いた。石巻から20年ぶりに誕生したプロ野球選手はドラフト後、何度も、何度も、「石巻に元気や勇気を与えたい」と口にしてきた。その言葉には実感も重みもある。

 あの時、いったいどれほどの人が希望や生きる気力を失っただろうか。当たり前のことが当たり前ではない中、助け合いの輪が広がり、それぞれができることに没頭した。そして、多くの人が復興の一助を担った。馬場も鈴木も15歳でそんな経験をし、地元の高校、大学を経て、人に夢や希望、元気を与える仕事に就いた。

 故郷を離れ、プロ入り後、初めて迎えた「3.11」。彼らは何を思い、シーズンに入るのだろうか。

(高橋昌江 / Masae Takahashi)

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