先発5人制定着は1976年ドジャース エンゼルスの6人制採用に見る“奇縁”
先発5人制、FA制度、トミー・ジョン手術…後世を変えた1976年
エンゼルスが今季、先発投手6人制を打ち出した。大谷翔平の投打二刀流のための方策ではあるが、マイク・ソーシア監督は「他の投手たちにとっても、登板間隔に余裕ができるのはいいことだと思う」と話していた。実際に可能かどうか分からないが、実現するとメジャーリーグ史の転換点になるかもしれない。
現在メジャーではどの球団も基本的に先発5人制を採っている。そもそもいつ頃から始まったのだろうか。古い時代にも期間限定ではあったようだが、今につながる流れが確立したのは1970年代半ば、もっと細かく言うと1976年のドジャースだという。
この年は34試合に先発したドン・サットン、32試合に先発したダグ・ラウ、33試合に先発したバート・フートン、31試合に先発したトミー・ジョン、26試合に先発したリック・ローデンの5人で回している。前年の1975年にはアンディ・メッサースミスが40試合に先発し、38試合のラウ、35試合のサットン、30試合のフートンの4人で先発陣を形成していた。エースのメッサースミスを失って5人制にシフトしたのだった。
ちなみに、1975年のメッサースミスはメジャーの歴史上、大きな存在である。この年、メッサースミスは球団と揉め、契約に至らないままシーズンを過ごした。閉幕後、メッサースミスは「1年間、未契約でプレーしたのだから、もはや球団に保留権はない。私はフリーだ」と宣言した。裁定の結果、メッサースミスの言い分が認められ、ブレーブスに移籍していった。この一件が、FA(フリーエージェント)制度誕生につながることになる。