【パ・リーグお仕事名鑑】ロッテの名物ウグイス嬢が明かす思いと裏側 やり残しは「優勝でございます!」

独学でスキルを磨き、アナウンス担当に

 谷保さんは北海道出身。子供の頃は王貞治さんのホームランが毎晩の楽しみで、野球中継を見てからでないと布団に入らないほどの野球っ子だった。高校野球の試合をテレビで観戦しながら、「1番・〇〇君」とアナウンスの真似事をしたこともあるそうだ。

 高校と短大で野球部(短大時は札幌大野球部)のマネージャーを経験し、短大時代に大学のリーグ戦で初めて球場アナウンスを担当。その時「君は野球が好きなだけあって間の取り方が上手だね」と褒められたことも、おそらく今につながっているのだろう。高校野球のアナウンスに強い憧れがあったため、男子高校が当番校になった際の全道大会のアナウンス担当を買って出たこともあるという。

「お客さんとして野球を観戦する感覚とはまったく違うんだ、私は試合を進行しているんだなぁって思いましたね。ただアナウンスすればいいわけじゃないんだ、って。その時味わったグラウンドの臨場感と、アナウンス係としての責任感。それが、今の仕事への動機づけになったことは間違いありません」

 短大卒業後、家業の手伝いや地元でのアルバイトで生計を立てていたが、アナウンスの道をあきらめきれず、「これを仕事にするにはプロ野球しかない」と決意。プロ野球全球団に電話をかけて、アナウンス業務の求人があるかどうか問い合わせた。

「とことん断られていたのですが、3年ほど粘った頃にようやくロッテから『ウグイス嬢の採用はありませんが、よければ履歴書を』と言われて、とにかく入ってしまおうとチャレンジしました。ですので、最初は総務・経理に配属されました。ただ、アナウンスの仕事がしたいという希望だけは伝えておきました」

 チャンスはないかもしれないと言われてはいたものの、もしチャンスが来たらすぐにできるようにしておきたい。そんな思いで、当時の本拠地だった川崎球場や他球場の2階席でひっそりとアナウンスの練習をしたり、試合中継を観て真似たりメモしたり、独学でスキルを磨いていった。

「アナウンス担当だった先輩が辞めたのを機に、2軍の浦和球場で初めてマイクの前に座らせてもらいました。ただ、専任になったわけではなく、所属は経理担当。昼間に浦和でアナウンスをして事務所に戻って経理業務を行う毎日でした。そのうち、『1軍も勉強しなさい』と言われて、ついに川崎球場でも任されることになって。当時お客さんが少ない球場と言われていましたが、やはり1軍の球場は綺麗な人工芝で、ナイター照明も眩しくて、すべてがキラキラして見えましたね」

 自らスキルを高めていこうとする姿勢は経験を積んだ今も健在で、最近では同じ千葉県で交流もある他競技の試合を、ほかの球団スタッフとともに視察。他のスポーツの試合進行方法などを参考にすることもあるそうだ。

心根にある『好き』が技術をつくる

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