西鉄黄金時代の控え内野手・滝内弥瑞生氏死去 西武、近鉄でコーチ務める

コーチとして太平洋・真弓や近鉄・村上、鈴木貴、石井ら育てる

 西鉄黄金期を率いた三原脩監督は、巨人や南海が豊富な資金力を背景に高校、大学の有名選手を次々と獲得して強大なチームを作る中で、地元福岡県、九州の埋もれた才能を発掘しては戦力にしていった。足でも守備でも打撃でも、何か一つ秀でたところがあれば、その才能を伸ばしてスペシャリストにしていったのだ。

 三原監督はこれを「超二流」と表現したが、滝内は修猷館高から西日本鉄道の河野昭修、三池工から東洋高圧大牟田の小淵泰輔らと並び、その代表選手とされた。三原監督は滝内の足と、どこでも守れる守備力を高く評価していたという。

 引退後は長くコーチとしてチームに貢献。西鉄ライオンズは太平洋、クラウンと名称が変わったが、その間も、試合前にはノックバットを振るう滝内コーチの姿があった。山崎裕之、基満男、ライオンズ時代の真弓明信(のち阪神)らは滝内コーチに鍛えられて一人前の内野手になった。

 ライオンズが本拠地を埼玉県所沢に移し、西武ライオンズとなってからもコーチとして勤めた。

 1982年、西鉄時代の同僚、関口清治が近鉄バファローズの監督に就任すると近鉄に内野守備コーチとして入団。西鉄時代のライバルだった仰木彬がヘッドコーチだった。1987年に仰木彬が近鉄監督になると1989年には滝内は二軍監督に。滝内は仰木監督が退任する1992年まで二軍監督を務め、村上隆行、鈴木貴久、石井浩郎ら主力選手を育て上げた。

 今年に入って高倉照幸、田辺義三、そして滝内と西鉄ライオンズ全盛期を支えた選手たちの訃報が相次いでいる。

 ライオンズが九州から移転して40年目のシーズン、時の移ろいを感じずにはいられない。

(広尾晃 / Koh Hiroo)

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