伝説の「10・19」を4番打者が振り返る 阿波野を沈めた同点弾の背景【後編】
西武のコーチを務めていた広野功から1本の電話が…
優勝が決まり、全日程を終了した西武や近鉄にとって、88年のペナントレースはこれにて終了となった。だが、ロッテにとってはまだ終わりではなかった。西宮球場での阪急戦があと3試合残されていたのだ。そのせいか、高沢は「10・19」の翌日のことがあまり記憶にないという。唯一、覚えているのは、86年までロッテのコーチを務め、この年から西武のコーチに就いていた広野功からお礼の電話がかかってきたことくらいである。
「『高沢、よく打ってくれた!』と。まあ、西武のために打ったわけではないんだけど、向こうにとってみれば……ね。チームにいたころに大変お世話になりましたから『ありがとうございます!』と返しました」
そして、10月22日からの阪急戦も、高沢にとっては忘れられない3試合となる。阪急には首位打者を争う松永浩美がいる。「10・19」の結果によって1位をキーブしていた高沢はベンチスタート。ロッテ投手陣は松永を封じることで高沢の首位打者を確定させようと挑んだ。だが、松永が初回、2回と立て続けにヒットを放ち、高沢の.327に1厘差の.326まで肉迫したのだ。
こうなると、ロッテとしては勝負ができず、以後の打席と残りの2試合において、松永にはすべて敬遠策をとらざるを得なくなった。11打席連続四球となり、日本記録として残っている。本来ならば「12」に伸びるはずだったが、最終打席で松永は僅かな望みと敬遠に対する抗議のアピールを兼ね、敬遠球にバットを投げてのセーフティーバントを敢行。3球ともあたらず三振になったことで更新されなかった。
このことについて、高沢氏は語る。
「投手は四球を出したら、自分の成績についてしまいますから。みんなに感謝しながらも、申し訳ない思いでした。ただ、タイトルは一生に一度取れるかどうかですから。ようやく取れたことは、本当にうれしかったですね」
高沢氏にとっては、これで長かったシーズンがようやく終わったのである。ちなみに、10月23日の最終戦は、身売りが決まった阪急のラストゲームであり、この年で引退する通算284勝のアンダースロー・山田久志が現役最後の登板を完投勝利で飾っている。