呉昌征、郭泰源、呂明賜、陽岱鋼… 日本で花開いた台湾人選手の系譜

王貞治氏も台湾の英雄、現在は陽岱鋼が大スターに

 また、日本名で活躍した台湾人選手もいた。南海の岡村俊昭(台湾名、葉天送)は平安中に野球留学し、南海に入団。首位打者を1回獲得した。引退後は、鶴岡一人監督の右腕として打撃コーチなどを歴任。野村克也など多くの選手を指導した。

 台湾出身の日本人選手には、青バットで一世を風靡した大下弘や、西鉄の5番打者・関口清治などがいる。

 戦後、台湾は中華民国となり、日本から独立したが、野球の交流は続いた。

 王貞治は父が中国人、母が日本人。父は中国大陸の浙江省の出身だが、王がプロ入りすると台湾野球界は王を支援し、王夫妻は何度も台湾を訪れている。それが縁となり、1968年には巨人が台湾の台中で春季キャンプを行ったこともある。台湾の少年野球の優勝チームは、東京の王貞治を表敬訪問した。台湾の野球少年にとって、優勝して東京で王貞治に会うことが最高の目標となった。

 そんな中から、郭泰源(元西武)、郭源治(元中日)、大豊泰明(元中日、阪神)、陳義信(元中日)など、NPBで活躍する選手が出ている。1988年に巨人に入団した呂明賜は、デビュー戦から17試合で10本塁打と大暴れして、日本球界に旋風を巻き起こした。

日本の中学、高校に留学し、ドラフト指名される選手も増加

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