リー兄弟、荘勝雄、アルトマン、ベニー…個性派ぞろいのロッテ助っ人

進駐軍の“掛け持ち大リーガー”カイリーは二刀流で活躍

 1950年、毎日新聞社によって創設された毎日オリオンズは、大映と合併して大毎オリオンズとなり、東京オリオンズを経て1969年からロッテオリオンズに。さらに1992年に千葉に本拠を移し、千葉ロッテマリーンズになった。

 ロッテの外国人選手第1号は、戦前、阪神のエースとして活躍した日系二世の若林忠志だが、野球界に衝撃を与えたのは1953年のレオ・カイリーだった。

 カイリーは1951年にレッドソックスで7勝を挙げた現役メジャーリーガーだったが、当時は兵役で米海軍横須賀基地に在籍していた。ロッテ関係者がこれを聞きつけて、休日と夜だけ試合に出る契約を結んだ。NPBのメジャーリーガー第1号だったが、日本とアメリカの実力差は大きく、カイリーは投げては6試合6勝、防御率1.80、打者としても19打数10安打を記録した。

 カイリーは9月に除隊命令が出たためアメリカに帰国。NPBのコミッショナーは雇用形態に問題ありとして、以後、進駐軍選手の掛け持ち入団を禁止した。

 ロッテの外国人選手と言えば、第一に名前が挙がるのがレロン、レオンのリー兄弟だろう。兄(登録名リー)が左打者、弟(登録名レオン)が右打者だったが、ともに長期にわたって中軸打者として活躍。兄のリーは、今年、青木宣親に抜かれるまでNPB歴代打者の最高打率を誇っていた。MLBでも実績のあるアルトマンは、ラフィーバーとのコンビで1974年金田正一監督で日本一になったチームを牽引した。

千葉ロッテで最多安打はベニー

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