「あの国に何があるんや」―“松坂世代”の久保康友が米独立Lに挑んだ理由(上)

昨オフ自由契約もショックはなし「立ち上がってGMと握手していたんですよ」

 室内練習場にこもり、実戦形式のバッティング練習の打撃投手を始めた。先輩の打撃練習相手に投げるだけだが、フォームや球種、スピードなど何も考えずに自分の好きなように投げ、打球を見て「今のは二塁打ですね!」など打者に声を掛けて盛り上がった。いわば“遊び感覚”ではあったが、投げていく中で自分がどう表現したいかを考えられるようになった。そのうちフォームのバラつきがなくなり、自身の感覚を掴めるようになってきた。

「自信が出てきたというより“割り切り”でしたね。どうせ自分はもう辞めるんだし……みたいな感じで、何でも思うがままに楽しくやろうって。それが良かったのかもしれません」

 6年目はその“自分”が染みついた安定したフォームで148キロを計測。ただ、社会人の第一線で投げていくうちに、走塁の長けた打者と相対する機会が増えていき「投手は投げるだけではダメ」とフィールディングやクイックモーションなど投げる以外の技術も身につけ、勝てる投手に成長していった。プロアマ交流戦でプロの打者を相手に抑えられたことで「今なら自分はプロでやっていけるかもしれない」と自信も手にした。“松坂世代の最後の大物”として04年ドラフト会議でロッテから現在のドラフト制度で言うと1位指名となる自由獲得枠にて指名を受けることになる。

 そこからロッテ、阪神、DeNAと3球団を渡り歩き、13年で通算97勝を挙げるまでの大投手にまで成長した。だが、2017年オフにDeNAを自由契約に。ショックは計り知れなかったのかと思いきや、実はすっきりしていたという。

「GMに呼ばれて、(自由契約と)言われた時、自分、立ち上がってGMと握手していたんですよ。『今までお世話になりました』って。おそらくこんな振る舞いしたのは自分だけじゃないですかね」

 各球団に所属していた頃は「チームの力になれるように」と、何事にもがむしゃらに取り組んできた。だが、高校時代からプロだけを見つめて血眼になって練習してきた訳でもない。それなのにプロに入りたい一心で貪欲になって入団した選手が、実力が伴わず戦力外通告されるのを何度も見てきた。そんな中、久保はある“違和感”にさいなまれてきた。

渡辺俊介の体験談を聞き「驚きました」…「あの国に何があるんや」

RECOMMEND