「楽しくて仕方なかった」 元日ハム西崎幸広氏が明かす黄金期の西武との攻防

インタビューに応じた西崎幸広氏【写真:編集部】
インタビューに応じた西崎幸広氏【写真:編集部】

3度目のチャンスで達した偉業、史上60人目のノーヒットノーラン

 昨季、10年ぶりにパ・リーグ制覇を果たした西武。クライマックスシリーズでソフトバンクに敗れ、日本一こそ逃したが、レギュラーシーズン中に見せた圧倒的な強さは、新たな黄金期の到来を予感させるものだった。1980年代から90年代、破竹の勢いで突っ走る黄金期真っ只中の西武に、ライバル球団は自慢のエースをぶつけていった。1987年のデビュー以来、3年連続15勝、5年連続2桁勝利と大活躍した元日本ハム、西崎幸広氏もその1人だ。「1番から9番まで息をつく場所がなかった」という強力打線にどう立ち向かったのか。そして、1995年7月5日、その西武を相手に達成した史上60人目のノーヒットノーランについて振り返ってもらった。

 クラウンライターライオンズから西武ライオンズに生まれ変わった1979年以降、1980~90年代の西武はとにかく強かった。20年間でリーグ優勝13度、日本一に輝くこと8度。王者として君臨する西武の牙城を崩すべく、対戦チームは先発ローテ1番手から順番に西武戦で登板させた。

「エース級は必ず西武戦で先発なんです。中4日になろうが中5日になろうが『お前は西武戦の頭だ』って。ちょっと勘弁してよって思ったこともあります(笑)。当時、西武戦でばかり先発していた先輩が、査定の時に球団に言ったことがあるんです。西武戦での1勝と下位球団相手の1勝では内容とが違うからボーナスをつけてくれって。そう抗議しているのを聞いて、横で『先輩、ガンバレ!』って言ってたくらい(笑)。

 それでも、西武に限らず各球団の中軸打者と対戦するのは楽しかったですね。特に、あの時は西武が強くてね。ビジターでは上下とも青のユニホームだったんですけど、一時期、あの青いユニホームを見るのが嫌になったこともありますよ。『また青相手に投げるのか』って(笑)。

 当時は、クリーンアップに秋山(幸二)さん、清原(和博)、デストラーデが並んでいた。それだけじゃない。石毛(宏典)さんもいたし、辻(発彦現監督)さんもいて、全く息をつけない打線だったんですよ。下位の打順で一息つけるかと思っても、そこでチョコンと打たれたら上位につながる。そうすると大量失点の可能性が出てしまう。足のある選手もいたので、すべての打者に対して全力でいかないと失点につながる。本当に気が抜けなかったですね」

西武を相手に3度目の正直、1995年にノーヒットノーラン達成

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