「楽しくて仕方なかった」 元日ハム西崎幸広氏が明かす黄金期の西武との攻防

西武を相手に3度目の正直、1995年にノーヒットノーラン達成

 真っ向勝負だけではなく、投手と打者が互いの手の内を読み、裏を掻き合うことも、野球の醍醐味の1つ。西武戦での先発が続いた西崎氏は、打者と駆け引きをする上で引き出しを増やすため、各打者の研究に多くの時間を割いたという。

「対自分のデータを集めてノートに書き込みながら研究するんです。『このバッターは俺のこの球は打てないな』とか、『こんな傾向あるな』とか。それで勝負して打ち取ったら、ものすごくうれしい(笑)。逆に打たれてしまうと『俺の配球読まれているな』って、また研究し直すわけです。

 僕の持ち球はスライダーだったんですけど、それを待っているのが分かるんですよね。インサイドに投げても全然手を出さなかったり、甘いボールでも平気で見逃したり。そうなると、外にスライダーじゃなくて、インサイドに投げて曲げたろかな、とか、インサイドを振ってくるまで、ずっとインサイド投げたろ、とか。考えることが楽しくて仕方なかったですね」

 そんな西武を相手に、西崎氏は1995年7月5日、史上60人目の快挙となるノーヒットノーランを達成した。実は、西武はそれまで偉業のチャンスを2度も逃した因縁の相手。1度目は1989年4月13日、7回まで完全投球をしていたが8回先頭の清原にソロ被弾し、2度目は1995年4月25日、7回まで無安打としていたがデストラーデの平凡なフライを中堅手が見失って三塁打となっていた。「僕の中では『まだできないだろうな』って思いもあったので」と笑うが、3度目の正直、はあった。

「あの時は清原とデストラーデが怪我でいなくて、秋山さんはダイエーに移籍した後だった。でも、この年にメジャーバリバリのジャクソンが西武に加入して、嫌な打者だなと思っていたんですよ。1番佐々木(誠)、2番苫篠(誠治)、3番ジャクソン、4番が鈴木健。初回に2アウトからジャクソンに四球を与えて、その後からですね」

 初回に鈴木から3つ目のアウトを奪うと、2回からは面白いように次々と打者を退けた。それでも「3度目の正直ってあるのかな? くらいで。その前の2回より、3度目の方が意識はしていませんでしたね」と振り返る。

「代打か、これはラッキーだなと思いました」

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