営業マンに転身した元DeNA・内藤雄太 野球をやめた今だから「伝えたいこと」
玩具メーカー・カシマヤ製作所の営業 子供の遊び道具からプロ野球選手のバット、手袋まで
2013年限りで現役を引退した元DeNAの内藤雄太さんは、スポーツ用品メーカー勤務を経て、現在は玩具メーカー・カシマヤ製作所の営業を務めている。おもちゃの営業から、プロ野球選手へバットやバッティンググローブのサポートなど仕事は多岐に渡っている。さらに今年注目されているフェイスガード「C-FLAP」の普及も携わるなど、野球とも寄り添い、引退後の人生を歩んでいる。
東京都内にあるカシマヤ製作所を訪ねた。そこには現役時代から何ら変わらない相手の目を見て挨拶する礼儀正しい内藤さんの姿があった。
「わざわざ、取材しにきていただきありがとうございます」
内藤さんは2005年、八戸大から横浜ベイスターズ(現DeNA)に大学・社会人ドラフト3巡目で入団。強打の外野手として期待された。2011年の開幕戦・中日戦ではサヨナラタイムリーを放った。
現役の終わりは、突然だった。
2013年10月28日。新横浜駅付近。日時や場所も、今でもはっきりと覚えている。
チームは秋季キャンプを控えていた時だった。フェニックス・リーグが行われていた宮崎から帰ってきて、当時の中畑清監督からは来年の戦力として期待していると言葉をかけられたばかりだった。
「球団から電話で『明日、スーツで来てくれ』と言われました。駅前で“うそだろ”って思いました。クビですか?と聞いたら、『電話では言えない』と……」
毎年、力のある若い選手が入ってきているのは感じていた。自身もケガをしていたため、危機感は常にあった。
「(戦力外を受ける1年前に)右手の中指を脱臼骨折しまして……。もうすぐ、中指がなくなるんじゃないかというくらい、第一関節から(指が)取れそうになって……。ボールを投げるのも、打撃も苦労しました。バランス、感覚がおかしくなって、打撃の意識を変えないといけないと思っていたところでした」
ただ、その改善に手応えを感じ、翌年は勝負できる自信もあった。監督からの期待もあった。しかし、現実は違った。
「まだ、現役をやりたいという気持ちがあったので、トライアウトを受けました。ですが、1週間経っても声はかかりませんでした。結婚して、子供も生まれたときだったので悩みましたが、スパッと諦めて、次のステップに行こうと思いました」
内藤さんはスポーツ用品店を展開するスポーツオーソリティに就職。同社が野球の普及活動をしており、夕方まで店頭に立ち、横浜市の施設や幼稚園などで野球振興を行った。その頃、現在の勤務先・カシマヤ製作所が、打撃用手袋などを扱うアメリカの「Franklin」(フランクリン)の日本総代理店となった。スポーツオーソリティを通じ、社長の西上茂氏から頼まれ、チームメートだった石川雄洋内野手、筒香嘉智外野手を会わせることにした。
「これをきっかけに手袋を石川と筒香が使ってくれたんです。この件で、今の社長から野球の事業をやるから、人を探しているという話をいただきました。おもちゃとかの営業もあるけど、やってくれないか、と」
プロ野球選手、販売の経験を生かした仕事のオファーを受け、転職を決意した。元選手だからこそ、気が付くこともある。それを生かした。