長かった16連敗 苦しかったのは選手だけではない―ヤクルト元新人王右腕の葛藤
1年目の2004年に10勝を挙げた元投手・川島亮、現在は1軍マネージャーでチームを支える
長く、苦しい連敗が「16」で止まった。だが、スワローズにとってこの長いトンネルもきっと今後にプラスになる悔しさであると信じている。取材する立場としてずっと見続けているから、そう思える。
どんな時もチームを支える人はたくさんいる。何連敗したところで、ヤクルトファンは辞めることはしない。連敗中も温かい声援を送っていた。選手が必死なことは知っている。だからこそ、応援をさせてもらってるのだ。
苦しかったのは選手だけではない。かつて神宮球場を沸かせた元投手・川島亮1軍マネージャーの必死な姿もあった。
“自分にできることが何かないか……”
自問自答の日々だった。
例えば、試合前に書くメンバー表のペンの色を、青で書いていたらちょっと変えて黒にしてみたり。ベンチにあるホワイトボードもそう。書く時に前日と違う色のペンを使ってみたり、スワローズと相手チームの記入の左右を反対にしてみたり、それが何の役にも立たないかもしれないと思いながらも、なんとか流れを変えたいとやってみたりしていた。
試合中はチームの勝利を祈りながら、次の遠征のことなど、様々な仕事をクラブハウスでこなしていた。
私がニッポン放送のアナウンサーとなり、初めてプロ野球の番組と取材に就いた2004年。右も左もわからない「野球取材1年生」だった私は、その年新人選手だった川島投手に注目しようと決めてから、ユニホームを脱いだ今も、一人の人間として追っている。
普段は物腰柔らかく、いつもニコニコしている温厚な性格だが、いざマウンドに立ったときのピッチングはまるで別人を見るかのようだった。野球の知識のなかった私でも感じることのできる伸びのあるストレート、抜群のコントロール。その年は、23試合に登板し10勝を挙げ、防御率はリーグ3位の3.17。新人王を獲得した。このままスワローズで長年活躍してくれる選手になる、と期待した。
しかし、悔しいことに、2年目は以降は度々右肩の痛みに悩まされた。2007年には右肩のクリーニング手術も受けたが、思うように結果が残せず、2012年シーズンから楽天に移籍、2013年3月に現役引退を発表した。
マネージャーになって今季で6年目。普段はスケジュール調整や、移動、宿舎の手配などその仕事は多岐に渡り、無くてはならない存在だ。温厚で明るい性格と丁寧な仕事ぶり。「大変なマネージャー業も川島だからできている」。一緒に仕事をする人たちはそんな声もたくさん聞かれる。
選手と同じような気持ちで、連敗を止めようと必死だったことは容易に想像ができる。