【あの夏の記憶】史上6校目の春夏連覇 興南のエース島袋が語る甲子園の“魔力”「日頃より力が出る」
「試合前のキャッチボールで、どこで投げたボールよりも距離を投げられる感じがあった」
春のセンバツ優勝校として臨む最後の夏。当然、他校のマークは厳しくなり、他校はみな「打倒・興南」を目指して挑んでくる。やはり受けて立つ立場として、やはり、それなりの難しさは感じていたという。「難しさはありましたね。県大会の時もそうでしたけど、春が終わった時点から、夏も(優勝を)というのは色々なところは聞こえたので難しさはありました。県大会は自分たちも沖縄でホームだったので、そこまでやりづらさはなかったですけど、甲子園になると結構研究してきているところもあって、春に比べると難しさはあったと思います」と振り返る。
春夏連覇を成し遂げたのは興南が史上6校目。1962年の作新学院、1966年の中京商(現中京大中京)、1979年の箕島、1987年のPL学園、1998年の横浜、そして興南。その後、2012年と2018年に大阪桐蔭が達成した。出ることさえ難しい甲子園。その中で負けることなく頂点まで勝ち進むことは至難の業である。
その頂点に2季連続で立った島袋にとって、甲子園とはいかなる場所だったのか。時には「魔物」が存在するとも言われる聖地だが、島袋にとっては「日頃よりも良いパフォーマンスを出せる場所」と、本来の力以上のものが引き出される地だったという。
忘れもしないのが、初めて甲子園に出場した時のことだ。「1番最初に出た時に思ったんですけど、アドレナリンが凄く出ているんだろうなと思ったのが、試合前のキャッチボールでめっちゃ遠投で距離を投げられましたね。軽く投げているのに、それまでにどこで投げたボールよりも距離を投げられる感じがあったんです。なんだこれ?と。それは鮮明に覚えています」。甲子園が醸し出す独特の雰囲気、そこでプレーする喜び、アドレナリン……。様々な要素が噛み合い、不思議な力を引き出してくれるのだという。
「感覚は全然違いますね。気持ちの高ぶりもありますし、雰囲気もある中で緊張よりも楽しみ、この中で自分のパフォーマンスを出してやろうという感覚だった。日頃より良いパフォーマンスを出せた場所でした」。島袋にとっては、甲子園は“魔物”が棲む場ではなく、女神が微笑む場所だった。
(福谷佑介 / Yusuke Fukutani)