イチロー氏“19年の歩み”を注いだ英語スピーチ 番記者が感じた野球への敬意
「これをやっておけばよかったっということは、僕にはないので」
「受け入れてくれた」のは、聖地のファンの度量の大きさからだけではなく、他を圧倒するプレーで結果を出し続けたことで「受け入れさせた」というのが本心であろう。かつてイチロー氏はこう吐露したことがある。
「クラブハウスには、『日本から来た首位打者がなんぼのもんじゃい!』という仲間の視線を感じてましたね」
どんな状況でも貫いたのは野球への敬意だった。
「キャリアを振り返った時、私が誇りに思うことが少しでもあるとすれば、毎日、困難を乗り越え、毎日、同じような情熱を持って、2001年の最初の日から、2019年の最後の日まで、臨むことができたことです」
湿気を嫌い特製のジェラルミン製のバットケースに乾燥材を入れてバットを保管することは広く知られている。四球で一塁へ歩く時にバットを優しく地面に置けば、セーフかアウトかの判定がビデオに委ねられる間、審判員が下した判断に委ね、潔くベンチに戻るイチロー氏の姿が必ずあった。道具も審判員も野球になくてはならない存在。情熱を持っている選手がイチロー氏のように、必ずしも野球に敬意を払っているわけではない。
試合開始後に取材に応じたイチロー氏は、その最後をこう結んでいる。
「なにが欠けても多分、今日はない。なんだってそうじゃないですか。東京ドームの最後もなにが欠けてもあれは起きなかったというふうに考えると、やっぱり自分なりに頑張ってきてよかったなということですよね。これをやっておけばよかったっということは、僕にはないので。そうしてきてよかったなと思います」
自ら望んだトレードで2012年の夏場にヤンキースへ移籍すると、15年にはナ・リーグのマーリンズに移り、役割は代打となり出場機会は激減した。1度の打席で終える調整法の難しさにも、不平不満は一切漏らさなかった。3000本安打を放ち、将来の殿堂入りを確実にした選手であっても、チームの方針に抗うことなく日々の準備に万全を尽くした。
書き上げた文章の英訳をイチロー氏が手にしたのは、この日の午後になってからだったと言う。忠実に訳される過程で、異言語間の変換には「いくつか変わっていくことがある」とイチロー氏。だが、野球への敬意が変わるはずもなかった。
本拠地T-モバイル・パークに集まった2万6000人に向けて読み上げたスピーチには、挑戦の地で育んだ19年の歩みのすべてが紙背にちりばめられていた。
(木崎英夫 / Hideo Kizaki)