金村義明氏が“最強チーム”を考察 黄金期西武と日本S3連覇ホークスどっちが強い?

プロ入り後は苦労の日々も「それでも野球が好きで、野球しかなかったからね」

「ベテランでしたしね。単身赴任で寮に入れてもらって、松井(稼頭央)、大友(進)、小関(竜也)の3人を息子みたいに可愛がって。当時、一番強かったのは師匠・仰木監督が率い、イチローもいたオリックス。そこに前評判では最下位って言われていた西武が勝って、97年、98年と優勝した。そこで4番を打たせてもらったり、貢献させてもらったり。中日に移籍して75%もダウンした年俸も近鉄時代にまで戻って、98年には家族を東京に呼んで、賃貸ですけど一軒家に住んで、球場に行くのが楽しかったですよ。自分が想い描いていた夢とは全然違いますけどね」

 金村氏が想い描いていた夢。それは「4番を打ってタイトルを取れるような選手になって豪邸を建てる」というものだった。「もっと頑張っておけばよかった」という思いは、今でも心の中に残っている。

「もっと頑張ったらもっと打てたのに、もっと練習したらもっと打てたのにって、常に思いますよ。子供の頃の夢は、報徳学園に行って、阪急に入って、死ぬほど苦労している両親に、特に母親に家を建ててやることでした。でも、報徳学園で優勝して、阪急ではなく近鉄に入った時に家を建てて、そこで満足した部分はあるんでしょうね。プロに入ってなんとかなると思っていたけど、なりませんでした。何とかレギュラー掴んで、そこそこ活躍した時には、もう故障ばっかり。あとは鳴かず飛ばずで。それでも野球が好きで、野球しかなかったからね」

 1995年にFA移籍した中日では、故障もあって2年間で70試合の出場にとどまった。それでも野球好きの虫を抑えることはできなかった。

「中日で活躍する場面がなくても、セ・リーグの選手を見られるのが新鮮でね。広島の前田(智徳)のバッティングだったり、ヤクルトの池山(隆寛)のバッティングだったり、他球団のだいぶ年下の選手でも、いい打者だと言われる選手はすべて練習中に見て、すごいなと思ったり、こういう練習をしているのかと思ったりしていました。

 ただ、本当に野球が好きなんでしょうね。現役をやめて19年、いまだに2月は12球団のキャンプ地を必ず回る。それが原点というか、生活スタイルになっていますよね。現場で見て感じて……。やっぱり野球が好きなんですね」

 心残りはあっても、野球が好きだと言い切れる人生は、金村氏にとって誇らしいものに違いない。

(佐藤直子 / Naoko Sato)

RECOMMEND